・・・一九〇一年の四月に、ゴーリキイは労働者のために檄文を書いた廉で罪に問われ、起訴された。この時ゴーリキイはニジェゴロドスカヤ県のアルザマスという町へやられ、室内監禁にあった。「小市民」「どん底」の二つの戯曲がこの一種の流刑生活の間に書かれ・・・ 宮本百合子 「逝けるマクシム・ゴーリキイ」
・・・「昨日お命じの事件を」と云いさして、書類を出す。課長は受け取って、ざっと読んで見て、「これで好い」と云った。 木村は重荷を卸したような心持をして、自分の席に帰った。一度出して通過しない書類は、なかなか二度目位で滞りなく通過するもので・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・それを見ると、切角青山博士の詞を基礎にして築き上げた楼閣が、覚束なくぐらついて来るので、奥さんは又心配をし出すのであった。 ―――――――――――――――― 秀麿は卒業後直に洋行した。秀麿と大した点数の懸隔もなくて、・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・飛騨国では高山に二日、美濃国では金山に一日いて、木曽路を太田に出た。尾張国では、犬山に一日、名古屋に四日いて、東海道を宮に出て、佐屋を経て伊勢国に入り、桑名、四日市、津を廻り、松坂に三日いた。 一行が二日以上泊るのは、稀に一日の草臥・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・知らぬか、新田義興は昨日矢口で殺されてじゃ」「なに、二の君が」「今さら知ッたか、覚悟せよ」 跡は降ッた、剣の雨が。草は貰ッた、赤絵具を。淋しそうに生まれ出る新月の影。くやしそうに吹く野の夕風。 中「山里は・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・ 二度目に灸が五号の部屋を覗いたとき、女の子はもう赤い昨夜の着物を着て母親に御飯を食べさせてもらっていた。女の子が母親の差し出す箸の先へ口を寄せていくと、灸の口も障子の破れ目の下で大きく開いた。 灸はふとまだ自分が御飯を食べていない・・・ 横光利一 「赤い着物」
・・・何故なら、コンミニズム文学は、此の唯物論を基礎とした文学であるからだ。 しかしながら、コンミニズム文学のみが、ひとり唯物論的文学では決してない。それなら、他にいかなる唯物論的文学が存在するか。それは、新感覚派文学、これ以外には、一つ・・・ 横光利一 「新感覚派とコンミニズム文学」
・・・現在の状況を基礎として考えればこうも見られるであろうが、希望を基礎として考えれば事情は非常に異なって来る。日本絵の具といえども胡粉を多量に使用することによって厚みや執着力を印象することは不可能であるまい。写実も思うままにやれるだろう。古い仏・・・ 和辻哲郎 「院展遠望」
・・・今でも自分は昨日のことのように思い起こすことができる。シナの玉についての講義の時に、先生は玉の味が単に色や形にはなくして触覚にあることを説こうとして、適当な言葉が見つからないかのように、ただ無言で右手をあげて、人さし指と中指とを親指に擦りつ・・・ 和辻哲郎 「岡倉先生の思い出」
出典:青空文庫