・・・昨晩の夕刊はこの悲しい入港とその同じ船にのって帰って来た名士たちの帰朝談とを報じていた。船の医者やその他の責任者たちはもとより、心から遺憾の意を表してはいるのだろうが、私たち一般のものの感情には何かまだそこに表現され足りないものがあると感じ・・・ 宮本百合子 「龍田丸の中毒事件」
・・・ 家 Aが帰朝したのは、一九二〇年の四月二日である。帰った時、私は横浜から真直に彼をH町に伴った。勿論二人の棲むべき家が、何処に在り、如何なるものだかも問題にして居なかった。 第一彼の職業がまだ定って居な・・・ 宮本百合子 「小さき家の生活」
・・・氏は、転落する地方地主の生活に突入っていわばその骨を刻むように書いているつもりなのであるが、結局その努力も主題を発展的な歴史の光によって把握していないから、現象形態だけを追うに止り自身の粘り、社会観の基調がいかに富農的なものであるかまでを鋭・・・ 宮本百合子 「同志小林の業績の評価によせて」
・・・と云ってすぐ几帳を引いてしまった。「よく来て下さったこと、今に兄君も常盤の君も紫の君も見えるでしょうからね」とうれしそうに云いながら女に自分の几帳の中に方坐をもって来させてその上にすわらせて一年毎に美くしさのましてかがやかしくな・・・ 宮本百合子 「錦木」
・・・着物もつまりは、その生活の二つの基調に適合した変化が必要だし、その必要をみたすことが衣服の最低の条件なのだろうと思う。 簡単服という言葉はホーム・ドレスを意味する日本名だが、日本の女性たちの生活は、働き着として朝身につけたその簡単着を、・・・ 宮本百合子 「働くために」
・・・の作者が、その真率でたゆみない天質によって、社会現象に対しては常にまともから相応ずる生き方で、今日までを打ち貫いて来ていることは、作品を一読して、その基調を明かに感じるのである。それでいながら、この作者には、口を開いてそのような経験を語ると・・・ 宮本百合子 「文学における古いもの・新しいもの」
・・・の集に翻訳され、戦後の「播州平野」は、ソヴェトの文学新聞に、日本で広汎に支持されている階級的作品として紹介され、中国語にもほんやくされています。この事実は何を語るでしょうか。「播州平野」「風知草」の基調にあるものが前衛党とその活動家の新しい・・・ 宮本百合子 「文学について」
・・・でも、主題はやはりその基調の上に立てられている。ある作品が、題材的には極めて具体的であるが、主題は必ずしも客観的な現実をとらえ深められているのではない場合、作品の歴史的真実性は減殺されざるを得ない。特に、この種の作品は、作品の出現の本質に、・・・ 宮本百合子 「文芸時評」
・・・だが、官能的表徴は客観によりて主観的制約を受けるが故に清澄性故の直接清澄を持つほど貴重である。前者は立体的清澄を後者は平面的清澄を尊ぶ。新感覚が清少納言に比較して野蛮人のごとく鈍重に感じられると云うことは、清少納言の官能が文明人のごとく象徴・・・ 横光利一 「新感覚論」
・・・もっとも、絵画の点では、雪舟が応仁のころにもうシナから帰朝していたので、「絵かきの道すたれ果て」とは言えぬのであるが、しかし彼の名はまだ心敬には聞こえていなかったかもしれぬ。禅においては、一休和尚がこの時にまだ生きていた。心敬はこの人を、行・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫