・・・襦袢の襟を、あくまでも固くきっちり合せて、それこそ、われとわが襟でもって首をくくって死ぬつもり、とでもいったようなところだ。ひどいねえ。矢庭にこの写真を、破って棄てたい発作にとらわれるのだが、でも、それは卑怯だ。私の過去には、こんな姿も、た・・・ 太宰治 「小さいアルバム」
・・・私はたと困惑、濡れ鼠のすがたのまま、思い設けぬこの恥辱のために満身かっかっとほてって、蚊のなくが如き声して、いま所持のお金きっちり三十銭、私の不注意でございました。なんとか助けて下さい、と懇願しても、その三十歳くらいの黄色い歯の出た痩せこけ・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・いいえ、お逢いしたことは無いのでございますが、私が、その五、六日まえ、妹の箪笥をそっと整理して、その折に、ひとつの引き出しの奥底に、一束の手紙が、緑のリボンできっちり結ばれて隠されて在るのを発見いたし、いけないことでしょうけれども、リボンを・・・ 太宰治 「葉桜と魔笛」
大井広介というのは、実にわがままな人である。これを書きながら、腹が立って仕様が無い。十九字二十四行、つまり、きっちり四百五十六字の文章を一つ書いてみろというのである。思い上った思いつきだ。僕は大井広介とは、遊んだ事もあまり・・・ 太宰治 「無題」
・・・次郎兵衛はいろいろと研究したあげく、こぶしの中に親指をかくしてほかの四本の指の第一関節の背をきっちりすきまなく並べてみた。ひどく頑丈そうなこぶしができあがった。このきっちり並んだ第一関節の背で自分の膝頭をとんとついてみると、こぶしは少しも痛・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・無駄な一本の畦幅さえそこには見られない、きっちりとすき間もなく一望果ない田圃になっていて、盆地特有のむしあつさの中に、ぞっくりと稲の葉なみをそろえて立っているのである。通ったのは、丁度田舎の盆の間であったから、田圃には全く人かげがなかった。・・・ 宮本百合子 「青田は果なし」
・・・みんなと同じ仕事着を着て頭をきっちり赤い布でしばって、穿いている黒靴こそ、醋酸をのんで倒れたとき、穿いていたままだが、顔つきと云い歩きっぷりと云い、これは別人だ。 しかも、何だか他の若い労働婦人たちより一層確りしたようなところがある。・・・ 宮本百合子 「「インガ」」
・・・ あまりきっちりきっちりして居るところに驚くべき美がないと同時に、驚歎するだけの生活もないものである。 宇宙の真、美が、すべて直線で定規で引いた様には出来て居ない。 ――○―― 自分の専門以外の事について、あ・・・ 宮本百合子 「雨滴」
伝統的な女形と云うものの型に嵌って終始している間、彼等は何と云う手に入った風で楽々と演こなしていることだろう。きっちりと三絃にのり、きまりどころで引締め、のびのびと約束の順を追うて、宛然自ら愉んでいるとさえ見える。 旧・・・ 宮本百合子 「気むずかしやの見物」
・・・燃き火のまわりで、子供におっぱいをやっているひともあったりして、そのきっちりと手拭でくくられた頭の上に大きい水中眼鏡がのっている。天草とりの日の浜じゅうの大さわぎや、大きい天草のたばをかついで体を二つに曲げて運んでいる女の活動も、思い出され・・・ 宮本百合子 「漁村の婦人の生活」
出典:青空文庫