・・・ 泣きわめいている八っちゃんをあやしながら、お母さんはきつい眼をして、僕に早く碁石をしまえと仰有った。僕は叱られたような、悪いことをしていたような気がして、大急ぎで、碁石を白も黒もかまわず入れ物にしまってしまった。 八っちゃんは寝床・・・ 有島武郎 「碁石を呑んだ八っちゃん」
・・・ 案外にきつい口調だった。けれど、彼女という言い方にはなにか軽薄な調子があった。「いや、べつに……」「嘘言いなはれ。隠したかてあきまへんぜ。僕のことでなんぞ聴きはりましたやろ。違いまっか。僕のにらんだ眼にくるいはおまっか。どない・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・ 妻は、とびまわる子供にきつい顔をして見せた。「うん。」「啓は、お父うのとこへ来い。」 座敷へ上ると与助は、弟の方を膝に抱いた。啓一は彼の膝に腰かけて、包んだ紙を拡げては、小さい舌をペロリと出してザラメをなめた。 子供は・・・ 黒島伝治 「砂糖泥棒」
・・・彼女はきつい顔をして見せた。 二人の娘は、広場を振りかえって見ながら渋々母のあとからついて来た。お里は歩きながら、反物のことを訊ねた。「お母あ、どうしたん?」お品が云った。「あれが無いんだよ。」「どうして無いん?――あれうち・・・ 黒島伝治 「窃む女」
・・・御方様の御申訳の無いはもとより、ひいては何の様なことが起ろうも知れませぬ。御方様のきつい御心配も並一通りではござりませぬ。それ故に、御方様の、たっての御願い、生命にもかかることと思召して、どうぞ吾が手に戻るようの御計らいをと、……」 生・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・何んだか、もとよりきつい顔になっていたように思われました。私はその間の娘の苦労を思って、胸がつまりました。それでも機嫌よく話をしていました。 私たち親子はその晩久しぶりで――一年振りかも知れません――そろって銭湯に出かけて行きました。「・・・ 小林多喜二 「疵」
・・・Kは、きつい顔をする。「Kは、僕を憎んでいる。僕の八方美人を憎んでいる。ああ、わかった。Kは、僕の強さを信じている。僕の才を買いかぶっている。そうして、僕の努力を、ひとしれぬ馬鹿な努力を、ごぞんじないのだ。らっきょうの皮を、むいてむいて・・・ 太宰治 「秋風記」
・・・飛びあがりたいほど、きつい激動を受けたのである。「そうか。そうか。そうですか。」私は、自分ながら、みっともないと思われるほど、大きい声で笑い出した。「これあ、ひどいね。まったく、ひどいね。そうか。ほんとうですか?」他に、言葉は無かった。・・・ 太宰治 「新樹の言葉」
・・・少女は、きつい顔をしていた。一重瞼の三白眼で、眼尻がきりっと上っている。鼻は尋常で、唇は少し厚く、笑うと上唇がきゅっとまくれあがる。野性のものの感じである。髪は、うしろにたばねて、毛は少いほうの様である。ふたりの老人にさしはさまれて、無心ら・・・ 太宰治 「美少女」
・・・ともかくもそれを云ってしまうと、それまでひどく緊張してきつい表情をしていた彼の顔が急に柔らかになってくる、そして平生気持の悪いような青黒い顔色には少し赤味さえさして来て、見るから快いような感じに変化するのである。 私はこの男の癖をよく知・・・ 寺田寅彦 「小さな出来事」
出典:青空文庫