・・・今日我々の父兄は、だいたいにおいて一般学生の気風が着実になったといって喜んでいる。しかもその着実とはたんに今日の学生のすべてがその在学時代から奉職口の心配をしなければならなくなったということではないか。そうしてそう着実になっているにかわらず・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・「大慈大悲は仏菩薩にこそおわすれ、この年老いた気の弱りに、毎度御意見は申すなれども、姫神、任侠の御気風ましまし、ともあれ、先んじて、お袖に縋ったものの願い事を、お聞届けの模様がある。一たび取次いでおましょうぞ――えいとな。…… や、・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・ 浅草以来の椿岳の傍若無人な畸行はこういう人を喰った気風から出ているのだ。明治四、五年頃、ピヤノやヴァイオリンが初めて横浜へ入荷した時、新らし物好きの椿岳は早速買込んで神田今川橋の或る貸席で西洋音楽機械展覧会を開いた。今聞くと極めて珍妙・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ 簾藤へ転じてからこの気風が全で変ってしまった。服装も書生風よりはむしろ破落戸――というと語弊があるが、同じ書生風でも堕落書生というような気味合があった。第一、話題が以前よりはよほど低くなった。物質上にも次第に逼迫して来たからであろうが・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・三 それでも当時の毎日新聞社にはマダ嚶鳴社以来の沼間の気風が残っていたから、当時の国士的記者気質から月給なぞは問題としないで天下の木鐸の天職を楽んでいた。が、新たに入社するものはこの伝統の社風に同感するものでも、また必ずしも・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・今度のもそれは悪くはないけど何しろ船乗りという商売はあぶない商売ですからね、それにどこか気風の暴ッぽい者ですから、お仙ちゃんのようなおとなしい娘には、もう少しどうかいう人の方がとそうも思うんですよ」 ところへ、娘は帰って来た。あたりはい・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・は天衣無縫の棋風として一世を風靡し、一時は大阪名人と自称したが、晩年は不遇であった。いや、無学文盲で将棋のほかには何にも判らず、世間づきあいも出来ず、他人の仲介がなくてはひとに会えず、住所を秘し、玄関の戸はあけたことがなく、孤独な将棋馬鹿で・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・持って来た荷物を売りはらった金で、人力車を一台購い、長袖の法被に長股引、黒い饅頭笠といういでたちで、南地溝の側の俥夫の溜り場へのこのこ現われると、そこは朦朧俥夫の巣で、たちまち丹造の眼はひかり、彼等の気風に染まるのに何の造作も要らなかった。・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
豪放かつ不逞な棋風と、不死身にしてかつあくまで不敵な面だましいを日頃もっていた神田八段であったが、こんどの名人位挑戦試合では、折柄大患後の衰弱はげしく、紙のように蒼白な顔色で、薬瓶を携えて盤にのぞむといった状態では、すでに・・・ 織田作之助 「東京文壇に与う」
・・・ そう思うと樋口も木村もどこか似ている性質があるようにも思われますが、それは性質が似ているのか、同じ似たそのころの青年の気風に染んでいたのか、しかと私には判断がつきませんけれども、この二人はとにかくある類似した色を持っていることは確かで・・・ 国木田独歩 「あの時分」
出典:青空文庫