・・・嫁に行かれないとか、職業が見つからないとか、または昔しから養成された、女を尊敬するという気風につけ込むのか、何しろあれは英国人の平生の態度ではないようです。名画を破る、監獄で断食して獄丁を困らせる、議会のベンチへ身体を縛りつけておいて、わざ・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・ 然るに近日、世間の風潮をみるに、政治家なる者が教育の学校を自家の便に利用するか、または政治の気風が自然に教場に浸入したるものか、その教員生徒にして政の主義をかれこれと評論して、おのずから好悪するところのものあるが如し。政治家の不注意と・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
・・・ 右のごとく上士の気風は少しく退却の痕を顕わし、下士の力は漸く進歩の路に在り。一方に釁の乗ずべきものあれば、他の一方においてこれを黙せざるもまた自然の勢、これを如何ともすべからず。この時に下士の壮年にして非役なる者(全く非役には非ざれど・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・もっとも新なるものなれば、今日の有様にて生徒の学芸いまだ上達せしにはあらざれども、その温和柔順の天稟をもって朝夕英国の教師に親炙し、その学芸を伝習し、その言行を聞見し、愚痴固陋の旧習を脱して独立自主の気風に浸潤することあらば、数年の後、全国・・・ 福沢諭吉 「京都学校の記」
・・・就中、その欠点の著しきものは、孝悌忠信、道徳の一品をもって人生を支配せんとするの気風、これなり。とりも直さず、塩の一味をもって人の食物に供せんとするに異ならず。塩は食物に大切なり。これを欠くべからずといえども、一味をもって生を保つべからず。・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
・・・に此一事に心を籠め、二十五歳の年、初めて江戸に出でたる以来、時々貝原翁の女大学を繙き自から略評を記したるもの幾冊の多きに及べる程にて、其腹稿は既に幾十年の昔に成りたれども、当時の社会を見れば世間一般の気風兎角落付かず、恰も物に狂する如くにし・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・何にしても、文学を尊ぶ気風を一旦壊して見るんだね。すると其敗滅の上に築かれて来る文学に対する態度は「文学も悪くはないな!」ぐらいな処になる。心持ちは第一義に居ても、人間の行為は第二義になって現われるんだから、ま、文学でも仕方がないと云うよう・・・ 二葉亭四迷 「私は懐疑派だ」
・・・記者として働く一人一人が、当時新しく強く意識された人格の独立を自身の内に感じ、自分が社に負うているよりも、自分が正にその社を担っている気風があった。しかしここで注目すべきことは、日本では、明治開化期が、二十二年憲法発布とともに、却って逆転さ・・・ 宮本百合子 「明日への新聞」
・・・ このように明るく、親も子も同じように、道理には従うというきちんとした習慣で育てられれば、男の子も女の子も、おのずから動作もしっとりとし、正しいことに従う素直さをもち、互に扶け合う気風も出来ます。 躾にも筋がとおる、ということが・・・ 宮本百合子 「新しい躾」
・・・若い女のひとたちも日夜そういうものを目撃し、その気風にふれ、しかもその荒っぽさに心づかなくなって来るようなことがあれば、どこからほんとの美感としての簡素さというような健やかな潤いを見出して来るだろうか。今こそ私たちは人間の成長という方向で、・・・ 宮本百合子 「新しい美をつくる心」
出典:青空文庫