・・・そうして王氏は喜びのあまり、張氏の孫を上座に招じて、家姫を出したり、音楽を奏したり、盛な饗宴を催したあげく、千金を寿にしたとかいうことです。私はほとんど雀躍しました。滄桑五十載を閲した後でも、秋山図はやはり無事だったのです。のみならず私も面・・・ 芥川竜之介 「秋山図」
・・・ルンペンにもまたそれ相応の饗宴がある。ガード下の空地に茣蓙を敷き、ゴミ箱から漁って来た残飯を肴に泡盛や焼酎を飲んでさわぐのだが、たまたま懐の景気が良い時には、彼等は二銭か三銭の端た金を出し合って、十銭芸者を呼ぶのである。彼女はふだんは新世界・・・ 織田作之助 「世相」
・・・あの人はベタニヤのシモンの家で食事をなさっていたとき、あの村のマルタ奴の妹のマリヤが、ナルドの香油を一ぱい満たして在る石膏の壺をかかえて饗宴の室にこっそり這入って来て、だしぬけに、その油をあの人の頭にざぶと注いで御足まで濡らしてしまって、そ・・・ 太宰治 「駈込み訴え」
・・・凡てその所作は人に見られん為にするなり、即ちその経札を幅ひろくし、衣の総を大きくし、饗宴の上席、会堂の上座、市場にての敬礼、また人にラビと呼ばるることを好む。されど汝らはラビの称を受くな。また、導師の称を受くな。 禍害なるかな、偽善なる・・・ 太宰治 「如是我聞」
幼少のころ、高知の城下から東に五六里離れた親類の何かの饗宴に招かれ、泊まりがけの訪問に出かけたことが幾度かある。饗宴の興を添えるために来客のだれかれがいろいろの芸尽くしをやった中に、最もわれわれ子供らの興味を引いたものは、・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・父は維新前いわゆる御鯨方の支配の下に行われた捕鯨の壮観と、大漁後のバッカスの饗宴とを度々目撃し体験していたので、出発前にその話を飽きるほど聞かされていた。それで非常な期待と憧憬とをもって出かけたのであったが、運悪く漁がなくて浜は淋しいほど静・・・ 寺田寅彦 「初旅」
・・・芝居を芝居、画を画とのみして、それらの芸術的情趣は非常な奢侈贅沢に非ざれば決して日常生活中には味われぬもののように独断している人たちは、容易に首肯しないかも知れないが、便所によって下町風な女姿が一層の嬌艶を添え得る事は、何も豊国や国貞の錦絵・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・おのおの貧富にしたがって、紅粉を装い、衣裳を着け、その装潔くして華ならず、粗にして汚れず、言語嬌艶、容貌温和、ものいわざる者も臆する気なく、笑わざるも悦ぶ色あり。花の如く、玉の如く、愛すべく、貴むべく、真に児女子の風を備えて、かの東京の女子・・・ 福沢諭吉 「京都学校の記」
・・・次の戦争に利用することのできる八千五百万の人口と計算されているその日本の人民の数のうちに在りながら、野暮な詮議はどこかのひと隅へおしこんで、望月のかけるところない群々の饗宴がつづいた姿だった。 二 前年まで・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」
・・・「落日の饗宴」とを読み、いくつかの「新人論」を瞥見し、私は、文学に、何ぞこの封建風な徒弟気質ぞ、と感じ、更に、そのような苦衷、あるいは卑屈に似た状態におとしめられていることに対して、ヒューマニズムは、先ず、文学的インテリゲンチアをゆすぶって・・・ 宮本百合子 「十月の文芸時評」
出典:青空文庫