・・・こういうものに長い間慣らされて来たわれわれはもはやそれらから不調和とか矛盾とかを感ずる代わりに、かえってその間に新しい一種の興趣らしいものを感じさせられるのであろう。現代人は相生、調和の美しさはもはや眠けを誘うだけであって、相剋争闘の爆音の・・・ 寺田寅彦 「カメラをさげて」
・・・というのと対照してみると無限の興趣がある。夢でも俳諧でも墨絵でも表面に置かれたものは暗示のための象徴であって油絵の写生像とは別物なのである。色彩は余分の刺激によって象徴としての暗示の能力を助長するよりはむしろ減殺する場合が多いであろう。 ・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・それがために物語はいっそう古雅な詩的な興趣を帯びている。 日本に武士道があるように、北欧の乱世にはやはりそれなりの武士道があった。名誉や信仰の前に生命を塵埃のように軽んじたのはどこでも同じであったと見える。女にも烈婦があった。そしてどこ・・・ 寺田寅彦 「春寒」
・・・私はしばらく大阪の町の煤煙を浴びつつ、落ち着きのない日を送っていたが、京都を初めとして附近の名勝で、かねがね行ってみたいと思っていた場所を三四箇所見舞って、どこでも期待したほどの興趣の得られなかったのに、気持を悪くしていた。古い都の京では、・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・再び瓦斯ストーブに火をつけ、読み残した枕頭の書を取ってよみつづけると、興趣の加わるに従って、燈火は々として更にあかるくなったように思われ、柔に身を包む毛布はいよいよ暖に、そして降る雪のさらさらと音する響は静な夜を一層静にする。やがて夜も明け・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・花候の一日わたくしは園梅の枝頭に幾枚となく短冊の結びつけられているを目にして、何心なく之を手に取った時、それは印刷せられた都新聞の広告であったのに唖然として言う所を知らず、興趣忽索然として踵を回して去ったことがあった。 二三年前初夏の一・・・ 永井荷風 「百花園」
・・・ わたくしの言わむと欲する所は、隅田川の水流は既に溝涜の汚水に等しきものとなったが、それにもかかわらず旧時代の芸術あるがために今もなお一部の人には時として幾分の興趣を催させる事である。わが旧時代の芸文はいずれか支那の模倣に非らざるはない・・・ 永井荷風 「向嶋」
白魚、都鳥、火事、喧嘩、さては富士筑波の眺めとともに夕立もまた東都名物の一つなり。 浮世絵に夕立を描けるもの甚多し。いずれも市井の特色を描出して興趣津々たるが中に鍬形くわがたけいさいが祭礼の図に、若衆大勢夕立にあいて花・・・ 永井荷風 「夕立」
・・・この二つの事実を左右の翼として、論理的に一段の交渉を前方に進めるならば、我々は局外者に向って興趣ある一種の結論を提供する事が出来る。その結論とはこうである。―― わが小説界は偉大なる一、二の天才を有する代りに、優劣のしかく懸隔せざる多数・・・ 夏目漱石 「文芸委員は何をするか」
・・・ 題目の性質としては一気に読み下さないと、思索の縁を時々に切断せられて、理路の曲折、自然の興趣に伴わざるの憾はあるが、新聞の紙面には固より限りのある事だから、不都合を忍んで、これを一二欄ずつ日ごとに分載するつもりである。 この事情の・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
出典:青空文庫