・・・そして、彼等の狂騒と私等は、この人生にとって畢竟、いかなる意義を有したであろうか。 たゞ人生の意義は、たゞちに、美と正義に向って突き進む力の中にだけ見出されなければならぬ。そして、それ以外には、恐らく、見出されないものだろう。 秋霜・・・ 小川未明 「名もなき草」
・・・いわば、竜頭蛇尾、たとえば千メートルの競争だったら、最初の二百メートルはむちゃくちゃに力を出しきって、あとはへこたれてしまうといった調子。そんな訳で、奉公したては、旦那が感心するくらい忠実に働くのだが、少し飽きてくると、もういたたまれなくな・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・しぜん人も馬も重苦しい気持に沈んでしまいそうだったが、しかしふと通り魔が過ぎ去った跡のような虚しい慌しさにせき立てられるのは、こんな日は競走が荒れて大穴が出るからだろうか。晩秋の黄昏がはや忍び寄ったような翳の中を焦躁の色を帯びた殺気がふと行・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・ 喬はその話を聞いたとき、女自身に病的な嗜好があるのなればとにかくだがと思い、畢竟廓での生存競争が、醜いその女にそのような特殊なことをさせるのだと、考えは暗いそこへ落ちた。 その女はおしのように口をきかぬとS―は言った。もっとも話を・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・行一はいつか競漕に結びつけてそれを聞くのに慣れてしまった。 四「あの、電車の切符を置いてってくださいな」靴の紐を結び終わった夫に帽子を渡しながら、信子は弱よわしい声を出した。「今日はまだどこへも出られないよ。こち・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・り候、この分にては小生が小供の時きき候と同じ昔噺を貞坊が聞き候ことも遠かるまじと思われ候、これを思えば悲しいともうれしいとも申しようなき感これありこれ必ず悲喜両方と存じ候、父上は何を申すも七十歳いかに強壮にましますとも百年のご寿命は望み難く・・・ 国木田独歩 「初孫」
・・・しかし得意ということは多少競争を意味する。自分の画の好きなことは全く天性といっても可かろう、自分を独で置けば画ばかり書いていたものだ。 独で画を書いているといえば至極温順しく聞えるが、そのくせ自分ほど腕白者は同級生の中にないばかりか、校・・・ 国木田独歩 「画の悲み」
・・・ 髭髯が雪のように白いところからそのあだ名を得たとはいうものの小さなきたならしい老人で、そのころ七十いくつとかでもすこぶる強壮なこつこつした体格であった。 この老人がその小さな丸い目を杉の杜の薄暗い陰でビカビカ輝らせて、黙って立って・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・婦人をその天与の生理にも、心理にも合わない労働戦線に狩り出して、男子のような競争をさせるのでなく、処女らしさ、妻らしさ、母らしさを保護し、育児と、美容とに矛盾しない範囲の労働にとどめしめることは、新しい社会の義務だと思うのである。天理の自然・・・ 倉田百三 「愛の問題(夫婦愛)」
・・・鼻孔から、喉頭が、マラソン競走をしたあとのように、乾燥し、硬ばりついている。彼は唾液を出して、のどを湿そうとしたが、その唾液が出てきなかった。雪の上に倒れて休みたかった。「どうしたんだ?」 中隊長は腹立たしげに眼に角立てた。「道・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
出典:青空文庫