・・・父に早く死なれた兄弟は、なんぼうお金はあっても、可哀想なものだと思います。 太宰治 「兄たち」
・・・箪笥や鏡台がきちんと場所をきめて置かれていた。首の細い脚の巨大な裸婦のデッサンがいちまい、まるいガラス張りの額縁に収められ、鏡台のすぐ傍の壁にかけられていた。これはマダムの部屋なのであろう。まだ新しい桑の長火鉢と、それと揃いらしい桑の小綺麗・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・タンス、鏡台、トランク、下駄箱の上には、可憐に小さい靴が三足、つまりその押入れこそ、鴉声のシンデレラ姫の、秘密の楽屋であったわけである。 すぐにまた、ぴしゃりと押入れをしめて、キヌ子は、田島から少し離れて居汚く坐り、「おしゃれなんか・・・ 太宰治 「グッド・バイ」
・・・ご存じでございましょうけれど、私の枕元には、三輪の水仙のほかに小さい鏡台がひとつ置かれてございます。私は花を眺め、それから、この鏡のなかを覗いて、私の美しい顔に話しかけます。美しい、と申しあげました。私は、私の顔を愛して居ります。いいえ、哀・・・ 太宰治 「古典風」
・・・寝巻のままで鏡台のまえに坐る。眼鏡をかけないで、鏡を覗くと、顔が、少しぼやけて、しっとり見える。自分の顔の中で一ばん眼鏡が厭なのだけれど、他の人には、わからない眼鏡のよさも、ある。眼鏡をとって、遠くを見るのが好きだ。全体がかすんで、夢のよう・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・毛皮市場や祭礼の群衆の中にわれわれの親兄弟や朋友のと同じ血が流れている事を感じさせられ、われわれの遠い祖先と大陸との交渉についての大きな疑問を投げかけられるのであった。最後のクライマックスとして、荒野を吹きまくる砂風に乗じていわゆる「アジア・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ 三島神社の近くでだいぶゆすぶられたらしい小さなシナ料理店から強大な蓄音機演奏の音波の流れ出すのが聞こえた。レコードは浅草の盛り場の光景を描いた「音画」らしい、コルネット、クラリネットのジンタ音楽に交じって花屋敷を案内する声が陽気にきこ・・・ 寺田寅彦 「時事雑感」
・・・もっとも地上に存する放射性物質から発射されるいろいろの放射線もやはりこれと同様な性質をもっているのではあるが、それらのものが物質を貫通する能力に比べて比較にならぬくらい強大な貫通能力を宇宙線が享有しているために、地上の諸放射線とはおのずから・・・ 寺田寅彦 「蒸発皿」
・・・たとえばイザイの持っていたバイオリンはブリジが低くて弦が指板にすれすれになっていた、他人が少し強くひこうとすると弦が指板にぶつかって困ったが、イザイはこれでやすやすと驚くべき強大なよい音を出したそうである。この魔術のだいじの品玉は全くあの弓・・・ 寺田寅彦 「「手首」の問題」
・・・茶の間の障子のガラス越しにのぞいて見ると、妻は鏡台の前へすわって解かした髪を握ってぱらりと下げ、櫛をつかっている。ちょっとなでつけるのかと思ったら自分で新たに巻き直すと見える。よせばよいのに、早くしないかとせき立てておいて、座敷のほうへもど・・・ 寺田寅彦 「どんぐり」
出典:青空文庫