・・・ かの早くから我々の間に竄入している哲学的虚無主義のごときも、またこの愛国心の一歩だけ進歩したものであることはいうまでもない。それは一見かの強権を敵としているようであるけれども、そうではない。むしろ当然敵とすべき者に服従した結果なのであ・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・実際上の問題を軽蔑する事を近代の虚無的傾向であるというように速了している人はないか。有る――少くとも、我々をしてそういう風に疑わしめるような傾向が、現代の或る一隅に確に有ると私は思う。 三 性急な心は、目的を失・・・ 石川啄木 「性急な思想」
・・・童話は、芸術中の芸術であります。虚無の自然と生死する人生とを関連する不思議な鍵です。芸術の中でも、童話は小説などと異って、直ちに、現実の生命に飛び込む魔術を有しています。 童話は、全く、純真創造の世界であります。本能も、理性も、この世界・・・ 小川未明 「『小さな草と太陽』序」
・・・稀れに傾向の著るしい作家があって、虚無主義に立ったり厭世主義に立ったり若しくは享楽主義に立ったりしても、其処にはそれ/″\固い信念と強い主張と深い哲学とがある。斯くて人間性の生面に深く徹して行くことを忘れない。 今の我が文壇には右の如き・・・ 小川未明 「囚われたる現文壇」
・・・昔から虚無の思想に到達したものは歓喜を見ない。ニヒリストの姿は寂しい。 また別に「いくら働いても人間の生活はよくならぬ、人間は苦しみの為に生れて来たのだ。」と云う無産階級者の苦悩も、現在の社会制度が現在の儘であるならば、或は免れ難い苦悩・・・ 小川未明 「波の如く去来す」
・・・日本もフランスも共に病体であり、不安と混乱の渦中にあり、ことに若きジェネレーションはもはや伝統というヴェールに包まれた既成の観念に、疑義を抱いて、虚無に陥っている。そのような状態がフランスではエグジスタンシアリスムという一つの思想的必然をう・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・四十代はやがて迷いの中から決然として来るだろうし、二十代はブランクの中から逞しい虚無よりの創造をやるだろうか、三十代はどうであろうか。三十代は自分の胸に窓をあける必要がある。窓の中はガラン洞であってもいい。そのガラン洞を書けばいい。三十代は・・・ 織田作之助 「文学的饒舌」
・・・一皮目の切れの長いその眼は、仮面の眼のようであった。虚無的に迫る青い光を、底にたたえて澄み切っているのである。月並みに、怜悧だとか、勝気だとか、年に似合わぬ傲慢さだとか、形容してみても、なお残るものがある不思議な眼だった。 ところが、憑・・・ 織田作之助 「道なき道」
・・・おそるべき虚無を私はふと予想する。しかし私は虚無よりの創造の可能を信じている。本能を信じているのではない。私には才能なぞない。私ごとき才能のない人間が今日作家として立って行けるのは、文壇のレベルが低いからだ。この国では才能がなくても、運と文・・・ 織田作之助 「私の文学」
・・・この星空も、この闇黒も。虚無から彼らを衛っているのは家である。その忍苦の表情を見よ。彼は虚無に対抗している。重圧する畏怖の下に、黙々と憐れな人間の意図を衛っている。 一番はしの家はよそから流れて来た浄瑠璃語りの家である。宵のうちはその障・・・ 梶井基次郎 「温泉」
出典:青空文庫