・・・横浜で下りた子供連れの客はたいてい博覧会行きらしかった。大船近くの土堤の桜はもうすっかり青葉になっており、将来の日本ハリウード映画都市も今ではまだ野良犬の遊び場所のように見受けられた。茅ヶ崎駅の西の線路脇にチューリップばかり咲揃った畑が見え・・・ 寺田寅彦 「箱根熱海バス紀行」
・・・ 四 のうぜんかずら 小学時代にいちばんきらいな学科は算術であった。いつでも算術の点数が悪いので両親は心配して中学の先生を頼んで夏休み中先生の宅へ習いに行く事になった。宅から先生の所までは四五町もある。・・・ 寺田寅彦 「花物語」
・・・車馬旁午シ綺羅絡繹タリ。数騎銜ヲ駢ベ鞍上ニ相話シテ行ク者ハ洋客ナリ。龍蹄砂ヲ蹴ツテ高蓋四輪、輾リ去ル者ハ華族ナリ。女児一群、紅紫隊ヲ成ス者ハ歌舞教師ノ女弟子ヲ率ルナリ。雅人ハ則紅袖翠鬟ヲ拉シ、三五先後シテ伴ヲ為シ、貴客ハ則嬬人侍女ヲ携ヘ一歩・・・ 永井荷風 「上野」
・・・昼は既に尽きながら、まだ夜にはなりきらない頃、読むことにも書くことにも倦み果てて、これから燈火のつく夜になっても、何をしようという目当も楽しみもないというような時、ふと耳にする鐘の音は、机に頬杖をつく肱のしびれにさえ心付かぬほど、埒もないむ・・・ 永井荷風 「鐘の声」
・・・辻を北に取れば竜泉寺の門前を過ぎて千束稲荷の方へ抜け、また真直に西の方へ行けば、三島神社の石垣について阪本通へ出るので、毎夜吉原通いの人力車がこの道を引きもきらず、提灯を振りながら走り過るのを、『たけくらべ』の作者は「十分間に七十五輌」と数・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・ ぶっきら棒にいった。「何よ」と対手はいった。然しそれが余り突然なので対手はいつものように揶揄って見たくなった。「まさか俺がこっちゃあるめえな」とすぐにつけ足した。「どうせ犬殺しの手にかけるなら自分でやっちまった方が・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・左右前後の綺羅が頭の中へ反映して、心理学にいわゆる反照聯想を起すためかとも思いますが、全くそうでもないらしいです。あんな場所で周囲の人の顔や様子を見ていると、みんな浮いて見えます。男でも女でもさも得意です。その時ふとこの顔とこの様子から、自・・・ 夏目漱石 「虚子君へ」
・・・あるものに至っては、私の人情を傷けようと思って故意に残酷に拵えさしたと思われるくらいです。きられ与三郎の――そう、もっともこれは純然たる筋じゃないが、まあ残酷なところがゆすりの原因になっているでしょう。 生涯の大勢は構わないその日その日・・・ 夏目漱石 「虚子君へ」
・・・れを慰むることならんといえども、父母のすることなすことは、善きも悪しきも皆一々子供の手本となり教えとなることなれば、縦令父母には深き考えなきにもせよ、よくよくその係り合いを尋ぬれば、一は怒りの情に堪えきらざる手本になり、一は誤りを他に被せて・・・ 福沢諭吉 「家庭習慣の教えを論ず」
・・・ きょうは一天晴れ渡りて滝の水朝日にきらつくに鶺鴒の小岩づたいに飛ありくは逃ぐるにやあらん。はたこなたへとしるべするにやあらんと草鞋のはこび自ら軽らかに箱根街道のぼり行けば鵯の声左右にかしましく 我なりを見かけて鵯の鳴くらしき・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
出典:青空文庫