・・・その笠を被って立てる状は、かかる苦界にある娘に、あわれな、みじめな、見すぼらしい俄盲目には見えないで、しなびた地蔵菩薩のようであった。 親仁は抱しめもしたそうに、手探りに出した手を、火傷したかと慌てて引いて、その手を片手おがみに、あたり・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・だいたい、このろくろ首いうもんは、苦界に沈められている女から始まったことで、なんせ昔は雇主が強欲で、ろくろく女子に物を食べさしよれへん。虐待しよった。そこで女子は栄養がとれんで困る。そこへもって来て、勤めがえらい。蒼い顔して痩せおとろえてふ・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・畢竟するに婦人が婚姻の契約を等閑に附し去り、却て自から其権利を棄てゝ自から鬱憂の淵に沈み、習慣の苦界に苦しむものと言う可し。啻に自身の不利のみならず、男子の醜行より生ずる直接間接の影響は、延て子孫の不幸を醸し一家滅亡の禍根にこそあれば、家の・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・例えば家計云々の為めに娘を苦界に沈めんとし、又は利益の為めに相手を選ばずして結婚せしめんとするが如き、都て父母の利心に生じて子を弄ぶものなれば、仮令い親子の間にても断然その命を拒絶して可なり。親子の間既に斯の如くなれば夫婦の間も亦然り。夫が・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・いわんや、かの戦争の如き、その最中には実に修羅の苦界なれども、事、平和に帰すれば禍をまぬかるるのみならず、あるいは禍を転じて福となしたるの例も少なからず。 古来、暴君汚吏の悪政に窘められて人民手足を措くところなしなどと、その時にあたりて・・・ 福沢諭吉 「政事と教育と分離すべし」
出典:青空文庫