・・・神学と伝説から切り放された救世の姿がおぼろながら私の心の中に描かれて来るのを覚えます。感動の潜入とでも云えばいいのですか。 何と云っても私を強く感動させるものは大きな芸術です。然し聖書の内容は畢竟凡ての芸術以上に私を動かします。芸術・・・ 有島武郎 「『聖書』の権威」
・・・ ここらへ顔出しをせねばならぬ、救世軍とか云える人物。「そこでじゃ諸君、可えか、その熊手の値を聞いた海軍の水兵君が言わるるには、可、熊手屋、二円五十銭は分った、しかしながらじゃな、ここに持合わせの銭が五十銭ほか無い。すなわちこの五十・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・女の写真屋を初めるというのも、一人の女に職業を与えるためというよりは、救世の大本願を抱く大聖が辻説法の道場を建てると同じような重大な意味があった。 が、その女は何者である乎、現在何処にいる乎と、切込んで質問すると、「唯の通り一遍の知り合・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・ 三 遍歴と立宗 十二歳にして救世の知恵を求めて清澄山に登った日蓮は、諸山遍歴の後、三十二歳の四月再び清澄山に帰って立教開宗を宣するまで、二十年間をひたすら疑団の解決のために思索し、研学したのであった。 はじめ清・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・ × 博愛主義。雪の四つ辻に、ひとりは提燈を持ってうずくまり、ひとりは胸を張って、おお神様、を連発する。提燈持ちは、アアメンと呻く。私は噴き出した。 救世軍。あの音楽隊のやかましさ。慈善鍋。なぜ、鍋でなければいけ・・・ 太宰治 「苦悩の年鑑」
・・・悔いあらための、いまは行いすました悟り顔、救世軍か何か。似ているぞ。また、叱られた供奴の、頭かきかき、なるほどねえ、考えれば考えるほど、こちとらの考え浅うござんした、えへっへっへ、と、なにちっとも考えてやしない、ただ主人への御機嫌買い。似て・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・地震学者だけが口を酸っぱくして説いてみても、救世軍の太鼓ほどの反響もない。そうして恐ろしい最後の審判の日はじりじりと近づくのである。 帰りの汽車で夕日の富士を仰いだ。富士の噴火は近いところで一五一一、一五六〇、一七〇〇から八、最後に一七・・・ 寺田寅彦 「時事雑感」
・・・それだけに救世軍の鍋などとはよほどちがった感じを傍観者に与えるものである。如何にも兵隊さんの細君らしい人などが赤ん坊を負ぶっているのに針を通してやっている人がやはり同じ階級らしいおばさんや娘さんらしい人であったりすると実に物事が自然で着実で・・・ 寺田寅彦 「千人針」
・・・洋服をきて髯など生したものはお廻りさんでなければ、救世軍のような、全く階級を異にし、また言語風俗をも異にした人たちだと思込んでいた。 わたくしは夜烏子がこの湯灌場大久保の裏長屋に潜みかくれて、交りを文壇にもまた世間にも求めず、超然として・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
・・・現に私がこうやって演壇に立つのは全然諸君のために立つのである、ただ諸君のために立つのである、と救世軍のようなことを言ったって諸君は承知しないでしょう。誰のために立っているかと聞かれたら、社のために立っている、朝日新聞の広告のために立っている・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
出典:青空文庫