・・・ だから、早く云って見れば、文学と接触して摩れ摩れになって来るけれども、それが始めは文学に入らないで、先ず社会主義に入って来た。つまり文学趣味に激成されて社会主義になったのだ。で、社会主義ということは、実社会に対する態度をいうのだが、同・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・そう云う態度に自身を置くことが出来るように、この男は修養しているのである。オオビュルナン先生はこんな風に考えている。もっともそれは先生だけの考えかも知れない。文人は年を取るにしたがって落想が鈍くなる。これは閲歴の爛熟したものの免れないところ・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・あの広野を女神達が歩いていて、手足の疲れる代りには、尊い草を摘み取って来るのだが、それが何だか我身に近付いて来るように思われる。あの女神達は素足で野の花の香を踏んで行く朝風に目を覚し、野の蜜蜂と明るい熱い空気とに身の周囲を取り巻かれているの・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・ されば曙覧が歌の材料として取り来るものは多く自己周囲の活人事活風光にして、題を設けて詠みし腐れ花、腐れ月に非ず。こは『志濃夫廼舎歌集』を見る者のまず感ずるところなるべし。彼は自己の貧苦を詠めり、彼は自己の主義を詠めり。亡き親を想いては・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・今月の十八日の夜十時で発って二十三日まで札幌から室蘭をまわって来るのだそうだ。先生は手に取るように向うの景色だの見て来ることだの話した。津軽海峡、トラピスト、函館、五稜郭、えぞ富士、白樺、小樽、札幌の大学、麦酒会社、博物館、デンマーク人・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・こういう点も、私の素人目に安心が出来るし、将来大きい作品をつくって行く可能性をもった資質の監督であることを感じさせた。 この作品が、日本の今日の映画製作の水準において高いものであることは誰しも異議ないところであろうと思う。一般に好評であ・・・ 宮本百合子 「「愛怨峡」における映画的表現の問題」
・・・そして、愛するYが、時間と金とを魔術のように遣り繰る技能に、一段の研磨の功を顕しますように。〔一九二六年八月〕 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・本の頁を繰るたびに、弱い赤っぽい焔は揺れ、顫える。ひどく臭く、煙は目にしみた。けれどもこういう不便は彼の前に次第に拡がりゆく世界の知識に対する歓喜の前には、決して堪えられぬものではなかった。本と一緒にいる時だけゴーリキイがそこから逃げ出した・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
・・・そしてある辻まで来ると、かれは小さな糸くずが地上に落ちているのを見つけた。このアウシュコルンというのはノルマン地方の人にまがいなき経済家で、何によらず途に落ちているものはことごとく拾って置けば必ず何かの用に立つという考えをもっていた。そこで・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・昔からドラアムやなんぞで、人物を時と所とに配り附けた上に出来るものを言うではないか。ヘルマン・バアルが旧い文芸の覗い処としている、急劇で、豊富で、変化のある行為の緊張なんというものと、差別はないではないか。そんなものの上に限って成り立つとい・・・ 森鴎外 「あそび」
出典:青空文庫