・・・寧ろ地上に遍満した我我の愚昧に依ったのである。哂うべき、――しかし壮厳な我我の愚昧に依ったのである。 修身 道徳は便宜の異名である。「左側通行」と似たものである。 * 道徳の与えたる恩恵は時間と労力との節約・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・無智愚昧の衆生に対する、海よりも深い憐憫の情はその青紺色の目の中にも一滴の涙さえ浮べさせたのである。こう言う大慈悲心を動かした如来はたちまち平生の神通力により、この年をとった除糞人をも弟子の数に加えようと決心した。 尼提の今度曲ったのも・・・ 芥川竜之介 「尼提」
・・・いくら貴様が風景に愛情を与え、冬の蠅を活気づけても、俺を愚昧化することだけはできぬわい。俺は貴様の弟子の外光派に唾をひっかける。俺は今度会ったら医者に抗議を申し込んでやる」 日に当りながら私の憎悪はだんだんたかまってゆく。しかしなんとい・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・私は、この世の愚昧の民を愛する。 九唱 ナタアリヤさん、キスしましょう その翌、翌日、まえの日の賤民とはちがって、これは又、帝国ホテルの食堂、本麻の蚊がすり、ろの袴、白足袋の、まごうかたなき、太宰治。ふといロイド眼鏡・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・私は、魯鈍だ。私は、愚昧だ。私は、めくらだ。笑え、笑え。私は、私は、没落だ。なにも、わからない。渾沌のかたまりだ。ぬるま湯だ。負けた、負けた。誰にも劣る。苦悩さえ、苦悩さえ、私のは、わけがわからない。つきつめて、何が苦しと言うならず。冗談よ・・・ 太宰治 「八十八夜」
・・・先日おいでの折、男子の面目は在武術と説き、諸卿の素直なる御賛同を得たるも、教訓する者みずから率先して実行せざれば、あたら卓説も瓦礫に等しく意味無きものと相成るべく、老生もとより愚昧と雖も教えて責を負わざる無反省の教師にては無之、昨夕、老骨奮・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・僕は最初からカッフェーに働いている女をば、その愚昧なことは芸者より甚しいものと独断していたからである。又文学好きだと言われる婦人は、平生文学書類を手にだもしない女に比すれば却て智能に乏しく、其趣味は遥に低いものだと思っていたからである。然し・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・ねがわくは先輩諸氏愚昧小生の如きをも清き諸氏の集会の中に諸氏の同朋として許したまえ。」 そして壇を下って頭を垂れて立ちました。 祭司次長がすぐ進んで握手しました。みんなは歓呼の声をあげ熱心に拍手してこの新らしい信者を迎えたのです。・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・中国の民衆を愚昧無気力にしておくために関東軍は阿片を売った。民主日本の航路から大衆の精悍さを虚脱させるために空腹時のエロティシズムは特効がある。文学における大衆性の本質は、決して大衆の一部にある卑俗性ではない。幾千万の私たち大衆が、つつまし・・・ 宮本百合子 「商売は道によってかしこし」
・・・彼の目にふれるのは偶像の光栄に浴し偶像の力に充たされたと迷信する愚昧な民衆の歓酔である。彼らは鐃や手銅鼓や女夫笛の騒々しい響きに合わせて、淫らな乱暴な踊りを踊っている。そうしてその肉感的な陶酔を神への奉仕であると信じている。さらにはなはだし・・・ 和辻哲郎 「『偶像再興』序言」
出典:青空文庫