・・・警官音楽隊が音楽堂の中で軍楽を奏し始めた。肩の縫目の一寸ずったような絹服を着て非常に陽気な若い女づれ。花壇をいちいち眺めながら歩く指の太い婆さんと息子づれ。――日曜日の午後ハイド・パアクはハイド・パアクの附近に住みながら一週に一遍だけそこを・・・ 宮本百合子 「ロンドン一九二九年」
・・・宇平太の嫡子順次は軍学、射術に長じていたが、文化五年に病死した。順次の養子熊喜は実は山野勘左衛門の三男で、合力米二十石を給わり、中小姓を勤め、天保八年に病死した。熊喜の嫡子衛一郎は後四郎右衛門と改名し、玉名郡代を勤め、物頭列にせられた。明治・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・ならば、『多胡辰敬家訓』などと同じ古さのものとして取り扱われなくてはならないが、しかしそれに対する批判はすでに十八世紀の初め、宝永のころから行なわれているのであって、それによると著者は、江戸時代初期の軍学者小幡勘兵衛景憲であろうと推定されて・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫