・・・ こういう態度の豹変は憲兵や警官にはあり勝ちなことだ。憲兵や警官のみならず、人間にはそういう頼りにならぬ一面が得てありがちなことだ。それ位いなことは、彼にも分らないことはなかった。それでも、何故か、彼は、腹の虫がおさまらなかった。憲兵が・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・ 坑内で死亡すると、町の警察署から検視の警官と医者が来るまで、そのまゝにして置かなければならない。その上、坑内で即死した場合、埋葬料の金一封だけではどうしてもすまされない。それ故、役員は、死者を重傷者にして病院へかつぎこませる。これが常・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
・・・たとえば矮鶏の尾羽の端が三分五分欠けたら何となる、鶏冠の蜂の二番目三番目が一分二分欠けたら何となる。もう繕いようもどうしようも無い、全く出来損じになる。材料も吟味し、木理も考え、小刀も利味を善くし、力加減も気をつけ、何から何まで十二分に注意・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・大日経巻第二に荼枳尼は見えており、儀軌真言なども伝来の古いものである。もし密教の大道理からいえば、荼枳尼も大日、他の諸天も大日、玄奥秘密の意義理趣を談ずる上からは、甲乙の分け隔てはなくなる故にとかくを言うのも愚なことであるが、先ず荼枳尼とし・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・と言いながら、肉屋は馬車に近づきました。警官は馬車のうしろへ乗りました。馬車使はちょっととび下りて馬の頬革をしめなおしています。肉屋がのぞいて見ますと、中には二十ぴきばかりの犬がごろごろしています。まさか、うちの犬はいないだろうな、と、よく・・・ 鈴木三重吉 「やどなし犬」
・・・あの人の一生の念願とした晴れの姿は、この老いぼれた驢馬に跨り、とぼとぼ進むあわれな景観であったのか。私には、もはや、憐憫以外のものは感じられなくなりました。実に悲惨な、愚かしい茶番狂言を見ているような気がして、ああ、もう、この人も落目だ。一・・・ 太宰治 「駈込み訴え」
・・・振り向いて見ると、警官である。「宵の口から、そんなに騒いで歩いては、悪いじゃないか。君は、どこの学生だ。隠さずに言ってみ給え。」 私は自分の運命を直覚した。これは、しまった。私は学生の姿である。三十二歳の酔詩人ではなかった。ちょっとのお・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・ ドアの外で正服の警官がふたり見張りしていることをやがて知った。どうするつもりだろう。忌わしい予感を、ひやと覚えたとき、どやどやと背広服着た紳士が六人、さちよの病室へはいって来た。「須々木が、ホテルで電話をかけたそうだね。」「え・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・しかしあまり度々こんな悪戯をやると警官に怪しまれるであろうが一度だけは大丈夫成功するであろうと思われる。それはとにかく、このヘリオトロープの信号は少なくも映画や探偵小説の一場面としてはこれも一遍だけは適当であろう。「モナリザの失踪」とい・・・ 寺田寅彦 「異質触媒作用」
・・・よく聞いてみると、当時高名であった強盗犯人山辺音槌とかいう男が江の島へ来ているという情報があったので警官がやって来て宿泊人を一々見て歩き留守中の客の荷物を調べたりしたというのである。強盗犯人の嫌疑候補者の仲間入りをしたのは前後にこの一度限り・・・ 寺田寅彦 「海水浴」
出典:青空文庫