・・・しかしこのアパートから随分遠くはなれた生国魂神社の境内の獅子舞の稽古の音が聴えて来る筈もない。 窓に西日が当っているのに気がついたので、道子は立ってカーテンを引いた。そしてふと振りむくと、喜美子は「ああ。」とかすかに言って、そのまま息絶・・・ 織田作之助 「旅への誘い」
・・・「俺も正式に学校でも出ていて、まじめに勤めをするとか、翻訳の稽古でもしていたら、今ごろはこうしたことにもならずにすんだものを、創作なぞと柄にもないことを空想して与太をやってきたのが間違いだったかしれん。どうせ俺のような能なし者には、妻子・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・この頃島の若いものと一しょに稽古をしている義太夫。そうだ『玉三』でも唸りながら書こう。面白い! ――昼飯を済まして、自分は外出けようとするところへ母が来た。母が来たら自分の帰るまで待って貰う筈にして置いたところへ。 色の浅黒い、眼に・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・「尺八は本式に稽古したのだろうか、失敬なことを聞くが」「イイエそうではないのでございます、全く自己流で、ただ子供の時から好きで吹き慣らしたというばかりで、人様にお聞かせ申すものではないのでございます、ヘイ」「イヤそうでない、全く・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・ 夏になると朝習いというのが始まるので、非常に朝早く起きて稽古に行ったものです。ところが毎朝通る道筋の角に柳屋という豆腐屋がある、其処の近所に何時も何時も大きな犬が寐転んで居る。子供の折は犬が非常に嫌いでしたから、怖々に遠くの方を通ると・・・ 幸田露伴 「少年時代」
引続きまして、梅若七兵衞と申す古いお話を一席申上げます。えゝ此の梅若七兵衞という人は、能役者の内狂言師でございまして、芝新銭座に居りました。能の方は稽古のむずかしいもので、尤も狂言の方でも釣狐などと申すと、三日も前から腰を・・・ 著:三遊亭円朝 校訂:鈴木行三 「梅若七兵衞」
・・・ 塾で新学年の稽古が始まる日には、高瀬は知らない人達に逢うという心を持って、庭伝いに桜井先生を誘いに行った。早起の先生は時間を待ち切れないで疾くに家を出た。裏庭には奥さんだけ居て、主婦らしく畠を見廻っていた。「でも、高瀬さん、田舎で・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・ 聾になったように平気で、女はそれから一時間程の間、矢張り二本の指を引金に掛けて引きながら射撃の稽古をした。一度打つたびに臭い煙が出て、胸が悪くなりそうなのを堪えて、その癖その匂いを好きな匂いででもあるように吸い込んだ。余り女が熱心なの・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・脚気のほうも、最近は、しびれるような事も無く、具合がいいので、五、六日前から少しずつ、酒の稽古をはじめて居ります。酒を飲むと、少し空想も豊富になって、うれしいのです。酒がこんなに有難いものだとは思わなかった。酒は不潔な堕落のような気がして、・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・遊んだり、人のおもちゃになったりしていずに、少し稽古でもしたら、立派な俳優になった女かも知れない。どうかして舞台で旨い事をしたのを、劇評家が見て、あれは好く導いて発展させたら、立派なものになるだろうにと、惜んで遣ることもある。しかしその発展・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
出典:青空文庫