・・・ モオパッサンはその短篇中に描いたセエヌ河の舟遊びによって、漫にわれわれの過ぎ去った学生時代を意味深く回想させ、ゴンクウル兄弟が En 18… の篇中に書いた月夜ムウドンの麗しい叙景は、蘆と水楊の多い綾瀬あたりの風景をよろこぶ自分に対し・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・一歳違いの男の兄弟があるが、兄貴が何か呉れろといえば弟も何か呉れろという。兄が要らないといえば弟も要らないという。兄が小便がしたいといえば弟も小便をしたいという。それは実にひどいものです。総て兄のいう通りをする。丁度その後から一歩一歩ついて・・・ 夏目漱石 「模倣と独立」
・・・「オイ、兄弟俺はお前と喧嘩する気はないよ。俺は思い違いをしていたんだ。悪かったよ」「何だ! 思い違いだと。糞面白くもねえ。何を思い違えたんだい」「お前等三人は俺を威かしてここへ連れて来ただろう。そしてこんな女を俺に見せただろう。・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・平田がそんな男か、そんな男でないか、五六年兄弟同様にしている私より、お前さんの方がよく知ッてるはずだ。私がまさかお前さんを欺す……」と、西宮がなお説き進もうとするのを、吉里は慌てて遮ッた。「あら、そうじゃアありませんよ。兄さんには済みません・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・古への礼に男女は席を同くせず、衣裳をも同処に置ず、同じ所にて浴せず、物を受取渡す事も手より手へ直にせず、夜行時は必ず燭をともして行べし、他人はいふに及ばず夫婦兄弟にても別を正くすべしと也。今時の民家は此様の法をしらずして行規を乱にして名を穢・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・思いたえてふり向く途端、手にさわる一蓋の菅笠、おおこれよこれよとその笠手にささげてほこらに納め行脚の行末をまもり給えとしばし祈りて山を下るに兄弟急難とのみつぶやかれて 鶺鴒やこの笠たゝくことなかれ ここより足をかえしてけさ馬車に・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・その時峠の頂上を、雨の支度もしないで二人の兄弟が通るんだ、兄さんの方は丁度おまえくらいだったろうかね。」 又三郎は一郎を尖った指で指しながら又言葉を続けました。「弟の方はまるで小さいんだ。その顔の赤い子よりもっと小さいんだ。その・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・ 当時トーマス・マンは、「ヨゼフとその兄弟」という作品の執筆中で、原稿があわただしくみすてられたミュンヘンの家にとりのこされたままであった。トーマス・マンのために、このたいせつな原稿は、どうにかしてとり出さなければならない。父を愛するエ・・・ 宮本百合子 「明日の知性」
・・・ どんな径庭によって、どんな進展をするか? 勿論、考えようによっては、これ等のことは事実に面接しなければ話にも成らないことかも知れません。或る人は、不吉な空想を逞しゅうするという不快さえ感じるかもしれません。然し、今、静かに、厳しい内省・・・ 宮本百合子 「偶感一語」
・・・其は私共に、或る力の存在の理論的価値と、実践的価値との間に何等かの逕庭の存する事、並びに、其等のより徹した運用に就て、何等かの教と暗示とを与えて呉れるだろうと思うからなのでございます。 C先生。 考えるべ・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
出典:青空文庫