・・・田舎者の物だというんで変なけちをつけて、安く捲き上げるつもりかなんかしれやしないからね。……真物かもしれないぜ」「いやどうもこの崋山はだめらしい。僕も毎日こうやってちょいちょい掛けてみてると、こいつは怪しいというような奴はだんだん襤褸が・・・ 葛西善蔵 「贋物」
九段坂の最寄にけちなめし屋がある。春の末の夕暮れに一人の男が大儀そうに敷居をまたげた。すでに三人の客がある。まだランプをつけないので薄暗い土間に居並ぶ人影もおぼろである。 先客の三人も今来た一人も、みな土方か立ちんぼう・・・ 国木田独歩 「窮死」
・・・お正ははんけちを眼にあてて頭を垂れて了った。「まア可いサ、酒でも飲みましょう」と大友は酌を促がして、黙って飲んでいると、隣室に居る川村という富豪の子息が、酔った勢いで、散歩に出かけようと誘うので、大友はお正を連れ、川村は女中三人ばかりを・・・ 国木田独歩 「恋を恋する人」
・・・『この月になってからでも今朝のが三人目だよ、よくよくこの踏切はけちがついていると見える。』 娘は黙って相手にならない。二人は無言で仕事をしていたが、母の手は折り折りやんで、その度ごとにこくりこくりと居眠りをしている。娘はこのさまを見・・・ 国木田独歩 「郊外」
・・・まあ、己はなんというけちな野郎だろう。」 熱い同情が老人の胸の底から涌き上がった。その体は忽ち小さくなって、頭がぐたりと前に垂れて、両肩がすぼんで、背中が曲がった。丁度水を打ち掛けられた犬のような姿である。そしてあわただしげに右の手をず・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・ ――神聖な家庭に、けちをつけちゃ困るね。不愉快だ。 ――おそれいります。ほら、ハンケチ、あげるわよ。 ――ありがとう。借りて置きます。 ――すっかり、他人におなりなすったのねえ。 ――別れたら、他人だ。このハンケチ、や・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・ 立身出世かね。小説を書きはじめた時の、あの悲壮ぶった覚悟のほどは、どうなりました。 けちくさいよ。ばかに気取ってるじゃないか。それでも何か、書いたつもりでいるのかね。時評に依ると、お前の心境いよいよ澄み渡ったそうだね、あはは。家庭・・・ 太宰治 「或る忠告」
・・・それにしても、縄の鞭を振りあげて、無力な商人を追い廻したりなんかして、なんて、まあ、けちな強がりなんでしょう。あなたに出来る精一ぱいの反抗は、たったそれだけなのですか、鳩売りの腰掛けを蹴散らすだけのことなのですか、と私は憫笑しておたずねして・・・ 太宰治 「駈込み訴え」
・・・つでもおっかなびっくりで、心の中で卑怯な自問自答を繰りかえし、わずかに窮余のへんてこな申し開きを捏造し、責任をのがれ、遊びの刑罰を避けようと致しますから、ちょっとの遊びもたいへんいやらしく、さもしく、けちくさくなってしまいます。五十を越えた・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・アカチーン街の語学の先生の誕生日に、何か花でも贈り物にしたいと思って、アポステル・パウルス・キルヘの前のけちな花屋へ寄って、あれかこれかと物色した末に買ったのがこの花であった。日本から輸入されたらしい桃色のちりめん紙で鉢を包んでもらって、す・・・ 寺田寅彦 「病室の花」
出典:青空文庫