・・・日本画には到底科学などのために動揺させられない、却ってあるいは科学を屈服させるだけの堅固な地盤があると思う。何故かと云えば日本画の成立ち組立て方において非常に科学的でそしてむしろ科学以上なところがあるからである。 師匠の真似ばかりしてい・・・ 寺田寅彦 「津田青楓君の画と南画の芸術的価値」
・・・ 王は黄金を飾った兜をきて、白地に金の十字をあらわした盾と投げ槍とを持ち、腰にはネーテと名づける剣を帯び、身には堅固な鎖帷子を着けていた。 美しい天気であったのが、戦が始まると空と太陽が赤くなって、戦の終わるころには夜のように暗くな・・・ 寺田寅彦 「春寒」
・・・ 真間川の水は絶えず東へ東へと流れ、八幡から宮久保という村へとつづくやや広い道路を貫くと、やがて中山の方から流れてくる水と合して、この辺では珍しいほど堅固に見える石づくりの堰に遮られて、雨の降って来るような水音を立てている。なお行くこと・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・ わたくしは小名木川の堀割が中川らしい河の流れに合するのを知ったが、それと共に、対岸には高い堤防が立っていて、城塞のような石造の水門が築かれ、その扉はいかにも堅固な鉄板を以って造られ、太い鎖の垂れ下っているのを見た。乗合の汽船と、荷船や・・・ 永井荷風 「放水路」
・・・然し太十は四十になるまで恐ろしい堅固な百姓であった。彼は貧乏な家に生れた。それで彼は骨が太くなると百姓奉公ばかりさせられた。彼はうまく使えば非常な働手であった。彼は一剋者である。一旦怒らせたら打っても突いてもいうことを聴くのではない。性癖は・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・人生の全局面を蔽う大輪廓を描いて、未来をその中に追い込もうとするよりも、茫漠たる輪廓中の一小片を堅固に把持して、其処に自然主義の恒久を認識してもらう方が彼らのために得策ではなかろうかと思う。――明治四三、七、二三『東京朝日新聞』――・・・ 夏目漱石 「イズムの功過」
・・・なるほどこの妹はごく内気なおとなしいしかも非常に堅固な宗教家で、我輩はこの女と家を共にするのは毫も不愉快を感じないが、姉の方たる少々御転だ。この姉の経歴談も聞たが長くなるから抜きにして、ちょっと小生の気に入らない点を列挙するならば、第一生意・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・に笑い、同所に浴こそせざれ同席同食、物を授受するに手より手にするのみか、其手を握るを以て礼とするが如き、男女別なし、無礼の野民と言う可きなれども、扨その内実を窺えば此野民決して野ならず、品行清潔にして堅固なること金石の如くなる者多きは何ぞや・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・而してその破裂の勢は、これを蔵むるのいよいよ堅固にして、時日のいよいよ久しきその割合にしたがいて、いよいよ劇烈なるべし。 たとえば今ここに一種の学校を設けて、まったく経世の学を禁じ、政治・経済の書を禁じ、また歴史をも禁じて、生徒を養うこ・・・ 福沢諭吉 「経世の学、また講究すべし」
・・・その公徳をして堅固ならしめんとするには、根本を私徳の発育に取らざるべからず。即ち国の本は家にあり。良家の集まる者は良国にして、国力の由って以て発生する源は、単に家にあって存すること、更に疑うべきにあらず。然り而してその家の私徳なるものは、親・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
出典:青空文庫