・・・急に険相な顔になって、「何だい、そのにらみざまは? 蛙じゃアあるめいし。手拭をここへ置くのがいけなけりゃア、勝手に自分でどこへでもかけるがいい! いけ好かない小まッちゃくれだ!」「一体どうしたんだ」と、僕がちょっと吉弥に当って、お君をふ・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ けれど、私達は、いかに、かく都会に喧騒を極めても、このまゝであったら、決して、私達の生活は、光明を望むものでないことをむしろ痛感せざるを得ないのは、なぜでしょうか。 それは暫く措き、都会がいたずらに発達するということも、中央集権的・・・ 小川未明 「街を行くまゝに感ず」
・・・二匹で五円、闇市場の中では靴みがきに次ぐけちくさい商内だが、しかし、暗がりの中であえかに瞬いている青い光の暈のまわりに、夜のしずけさがしのび寄っているのを見た途端、私はそこだけが闇市場の喧騒からぽつりと離れて、そこだけが薄汚い、ややこしい闇・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
・・・それは人びとの喧噪のなかに囲まれているとき、両方の耳に指で栓をしてそれを開けたり閉じたりするのである。するとグワウッ――グワウッ――という喧噪の断続とともに人びとの顔がみな無意味に見えてゆく。人びとは誰もそんなことを知らず、またそんななかに・・・ 梶井基次郎 「器楽的幻覚」
・・・細民街のぼろアパアト、黄塵白日、子らの喧噪、バケツの水もたちまちぬるむ炎熱、そのアパアトに、気の毒なヘロインが、堪えがたい焦躁に、身も世もあらず、もだえ、のたうちまわっているのである。隣の部屋からキンキン早すぎる回転の安蓄音器が、きしりわめ・・・ 太宰治 「音に就いて」
・・・神聖な民族でありながらもその誇りを忘れて、エジプトの都会の奴隷の境涯に甘んじ貧民窟で喧噪と怠惰の日々を送っている百万の同胞に、エジプト脱出の大事業を、「口重く舌重き」ひどい訥弁で懸命に説いて廻ってかえって皆に迷惑がられ、それでも、叱ったり、・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・人ごみ。喧噪。他生の縁あってここに集い、折も折、写真にうつされ、背負って生れた宿命にあやつられながら、しかも、おのれの運命開拓の手段を、あれこれと考えて歩いている。私には、この千に余る人々、誰ひとりをも笑うことが許されぬ。それぞれ、努めて居・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・この驚くべき聴感の能力のおかげで、われわれは喧騒の中に会話を取りかわす事ができ、管弦楽の中からセロやクラリネットや任意の楽器の音を拾い出す事ができる。 これに反して目のほうでは白色の中から赤や緑を抜き出す事が不可能であり、画面から汚点を・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
・・・美しい猫ではあるが気のせいかなんとなく険相に見える。臆病なうちの三毛はのら猫を見ると大急ぎで家に駆け込んで来るが、たまのほうは全く平気である。いつかのら猫といっしょに遊んでいるのを見たという報告さえあった。「不良少年になるんじゃないよ」など・・・ 寺田寅彦 「ねずみと猫」
・・・早慶戦のあった金曜日の夕方例によって友人と新宿の某食堂で逢って連句をやろうと思っていると、○大学の学生が大勢押しかけて来て、ビールを飲んで卓を叩いて校歌を唄い出した。喧騒の声が地下室に充ちて向き合っての話声も聞取れなくなった。「一体勝って騒・・・ 寺田寅彦 「マーカス・ショーとレビュー式教育」
出典:青空文庫