・・・こんな幻像を夢うつつの界に繰り返しながらいつのまにかウトウト眠ってしまう。看護婦がそろそろ起き出して室内を掃除する騒がしい音などは全く気にならないで、いい気持ちに寝ついてしまうのである。 このような朝をいくつとなく繰り返した。しかし朝の・・・ 寺田寅彦 「病院の夜明けの物音」
・・・その幻像の周囲にはいつものどかな春の光がある。 亮の生まれた時の事を私は夢のように覚えている。当時亮の家には腸チブスがはいって来て彼の兄や祖母や叔父が相次いで床についていたので、彼の母はその生家、すなわち私の家に来て産褥についた。姉の寝・・・ 寺田寅彦 「亮の追憶」
・・・隣室には現像液が用意される。運転手に合図してダイナモが動き始める。マリアが姿を現わして後三十分でこれらの事が運ばれた。それから暗い部屋に外科医と一緒に閉じこもるキュリー夫人の前に、うめく人を乗せた担架が一つ一つと運び込まれ、彼女の活動は幾時・・・ 宮本百合子 「キュリー夫人」
・・・この月夜の景は現実のものか、それとも一つの幻像か。自分が椽近く座っている、その位置の知覚が妙に錯倒する心持がした。金色夜叉の技巧的美文が出来ざるを得ない自然だ。――都会人の観賞し易い傾向の勝景――憎まれ口を云えば、幾らか新派劇的趣味を帯びた・・・ 宮本百合子 「夏遠き山」
・・・和主もこれから見参して毎度手柄をあらわしなされよ」「これからはまた新田の力で宮方も勢いを増すでおじゃろ。楠や北畠が絶えたは惜しいが、また二方が世に秀れておじゃるから……」「嬉しいぞや。早う高氏づらの首を斬りかけて世を元弘の昔に復した・・・ 山田美妙 「武蔵野」
出典:青空文庫