・・・村上の御門第七の王子、二品中務親王、六代の後胤、仁和寺の法印寛雅が子、京極の源大納言雅俊卿の孫に生れたのは、こう云う俊寛一人じゃが、天が下には千の俊寛、万の俊寛、十万の俊寛、百億の俊寛が流されているぞ。――」 俊寛様はこうおっしゃると、・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・ と声を密めながら、「ここいらは廓外で、お物見下のような処だから、いや遣手だわ、新造だわ、その妹だわ、破落戸の兄貴だわ、口入宿だわ、慶庵だわ、中にゃあお前勾引をしかねねえような奴等が出入をすることがあるからの、飛んでもねえ口に乗せら・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・ 自分が百円持って銀行に預けに行く途中で、掏児に取られた体にして届け出よう、そう為ようと考がえた、すると嫌疑が自分にかかり、自分は拘引される、お政と助は拘引中に病死するなど又々浅ましい方に空想が移つる。 校舎落成のこと、その落成式の・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・ とお店に一人のこっていた二十五、六の、痩せて小柄な工員ふうのお客さんが、まじめな顔をして立ち上りました。それは、私には今夜がはじめてのお客さんでした。「はばかりさま。ひとり歩きには馴れていますから」「いや、お宅は遠い。知ってい・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・「光陰」のタッチの軽快、「瘤」のペエソス、「百日紅」に於ける強烈な自己凝視など、外国十九世紀の一流品にも比肩出来る逸品と信じます。お手紙に依れば、君は無学で、そうして大変つまらない作家だそうですが、そんな、見え透いた虚飾の言は、やめてい・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・今年下総葛飾の田園にわたくしは日ごとに烈しくなる風の響をききつつ光陰の早く去るのに驚いている。岡山にいたのは、その時には長いように思われていたが、実は百日に満たなかった。熱海の小春日和は明るい昼の夢のようであった。 一たび家を失ってより・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・後になって当夜の事をきいて見ると、春浪さんは僕等三人が芸者をつれて茶亭に引上げたものと思い、それと推測した茶屋に乱入して戸障子を蹴破り女中に手傷を負わせ、遂に三十間堀の警察署に拘引せられたという事であった。これを聞いて、僕は春浪さんとは断乎・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・ 光陰の速なることは奔輪の如くである。いつの間にか二十年の歳月が過ぎた。春浪さんも唖々さんも共に斉しく黄泉の客となった。二十年の歳月は短きものではない。世の中も変れば従って人情も変った。 大正十五年八月の或夜、僕は晩涼を追いながら、・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・何か不審の件があって警察へ拘引される。尋問に答えるのが不利益だと悟って、いよいよ唖の真似をする。警官もやむをえず、そのまま繋留しておくと、翌朝になって、唖は大変腹が減って来た。始めは唖だから黙って辛抱したが、とうとう堪えられなくなって、飯を・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・一、維新の頃より今日に至るまで、諸藩の有様は現に今人の目撃するところにして、これを記すはほとんど無益なるに似たれども、光陰矢のごとく、今より五十年を過ぎ、顧て明治前後日本の藩情如何を詮索せんと欲するも、茫乎としてこれを求るに難きものある・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
出典:青空文庫