・・・ この一年と云えば私が不自由な拘禁生活を自身の深い経験の一つとして過した月日であり、その間に外では、短歌の形で自分たちの生活の感情を表現しようとする意志が勤労階級の中から高まって来た月日であったと考えると、私にとってはまことに意味深い示・・・ 宮本百合子 「歌集『集団行進』に寄せて」
・・・日本の政府はこの強制収容所のまねをして予防拘禁を人民強圧の方法としたのですから。落華生という中国作家は魯迅ともちがう角度で中国の女性のめぐりあわせに対する非抵抗の底にある抵抗力のつよさを語っています。〔一九四七年八月〕・・・ 宮本百合子 「相当読み応えのあったものは?」
・・・作家でこの年投獄された者は私一人であり中野重治は非拘禁のまま執拗に警視庁の調べをつづけられた。評論家、ジャーナリスト、歌人、俳人で検挙された人たちも少くなかった。 執筆この年は文学評論集『文学の進路』、『私たちの生活』――婦人・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・更に彼はこれらの先天的に犯罪型の頭蓋をもって生れ、何か犯罪をやって現に拘禁されている者の両親は、大抵揃っていず女親だけで、その女親も売笑婦が高率を占め、又その女たちはアルコール中毒にかかっているか、さもなければひどい酒呑みが多いと結論してい・・・ 宮本百合子 「花のたより」
・・・今度出獄したすべてのものが治安維持法の尊敬すべき犠牲者、英雄のように新聞やラジオで語り、語られているのであったが、その中に、元来が積極的な戦争強行論者で、その点が当時として反政府的であったために拘禁されていたというような人物までがまじってい・・・ 宮本百合子 「風知草」
・・・ 文吉は酒井家の目附役所に呼び出されて、元表小使、山本九郎右衛門家来と云う資格で、「格段骨折奇特に附、小役人格に被召抱、御宛行金四両二人扶持被下置」と達せられた。それから苗字を深中と名告って、酒井家の下邸巣鴨の山番を勤めた。 この敵・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫