・・・ 大息を吐いて、蒲団の上へ起上った、小宮山は、自分の体か、人のものか、よくは解らず、何となく後見らるるような気がするので、振返って見ますると、障子が一枚、その外に雨戸が一枚、明らさまに開いて月が射し、露なり、草なり、野も、山も、渺々とし・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・……第一そこらにひらひらしている蝶々の袖に対しても、果報ものの狩衣ではない、衣装持の後見は、いきすぎよう。 汗ばんだ猪首の兜、いや、中折の古帽を脱いで、薄くなった折目を気にして、そっと撫でて、杖の柄に引っ掛けて、ひょいと、かつぐと、・・・ 泉鏡花 「若菜のうち」
・・・ 超世的詩人をもって深く自ら任じ、常に万葉集を講じて、日本民族の思想感情における、正しき伝統を解得し継承し、よってもって現時の文明にいささか貢献するところあらんと期する身が、この醜態は情ない。たとい人に見らるるの憂いがないにせよ、余儀な・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・僕の追窮するのは即座に効験ある注射液だ。酒のごとく、アブサントのごとく、そのにおいの強い間が最もききめがある。そして、それが自然に圧迫して来るのが僕らの恋だ、あこがれだと。 こういうことを考えていると、いつの間にかあがり口をおりていた。・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・然るに喜兵衛が野口家の後見となって身分が定ってから、故郷の三ヶ谷に残した子の十一歳となったを幸手に引取ったところが、継の母との折合が面白くなくて間もなく江戸へ逃出し、親の縁を手頼に馬喰町の其地此地を放浪いて働いていた。その中に同じ故郷人が小・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・『帝諡考』の如き立派な大著を貢献されたのは鴎外の偉大な業績の一つである。考証家の極めて少ない、また考証の極めて幼稚な日本の学界は鴎外の巨腕に待つものが頗る多かった。鴎外が董督した改訂六国史の大成を見ないで逝ったのは鴎外の心残りでもあったろう・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・が肝腎だから、女の方がかえって愛嬌があって客受けがイイという話、ここの写真屋の女主人というは後家さんだそうだが相応に儲かるという咄、そんな話を重ねた挙句が、「官吏も面白くないから、女の写真屋でも初めて後見をやろうかと思う、」と取っても附かな・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・従来片商売として扱われ、作者自身さえ戯作として卑下していた小説戯曲などが文明に貢献する大なる精神的事業である事を社会に認めしめたのは全く坪内君の功労である。 坪内君はイツでも新らしい道を開く。劇の如きも今日でこそ猫も杓子も書く、生れて以・・・ 内田魯庵 「明治の文学の開拓者」
私は学校教育と云うものに就ては、現在の状況からすると小学校のそれに最も重きを置く。それは今日の状態にあっては大学及び其の他の専門学校と云うものは殆んど民衆にとってはこれと云う貢献がないと信ずるからである。何故かと云うに一般民衆にとって・・・ 小川未明 「人間性の深奥に立って」
・・・ 店先へ立ち迎えて見ると、客は察しに違わぬ金之助で、今日は紺の縞羅紗の背広に筵織りのズボン、鳥打帽子を片手に、お光の請ずるまま座敷へ通ったが、後見送った若衆の為さんは、忌々しそうに舌打ち一つ、手拭肩にプイと銭湯へ出て行くのであった。・・・ 小栗風葉 「深川女房」
出典:青空文庫