・・・――否、もし皇太子殿下が皇后陛下の御実子であったなら、陛下は御考があったかも知れぬ。皇后陛下は実に聡明恐れ入った御方である。「浅しとてせけばあふるゝ川水の心や民の心なるらむ」。陛下の御歌は実に為政者の金誡である。「浅しとてせけばあふるゝ」せ・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・第一次欧州大戦が終ったばかりで、人道的な英雄としてベルギーの皇帝・皇后がコロンビア大学に招待された初夏の光景は壮麗に思い出される。勇敢な看護婦・皇后エリザベスは小柄で華奢で、しかも強靭な身ごなしで、歩道によせられた自動車から降り立った。その・・・ 宮本百合子 「女の学校」
・・・それはベルギーのアルベール皇帝とエリザベート皇后とであった。この活動の間にマリアは多くの危険にさらされ、一九一五年の四月のある晩は、病院からの帰り、自動車が溝に落ちて顛覆して負傷したこともあった。が、娘たちがそのことを知ったのは再び彼女が出・・・ 宮本百合子 「キュリー夫人」
・・・天皇はあらひと神ではなくて、人間の男であり、皇后、皇太子、皇女たちは、その妻や子息、息女であることがわからされた。 人々は、人間である天皇、人間である三笠宮に親愛感をもつことに馴れて来た。皇太子が、唯一の御馳走は、カレーライスだと思って・・・ 宮本百合子 「戦争はわたしたちからすべてを奪う」
・・・「神功皇后韓ヲ征スル事ヲ論ズ」と云う一寸ばかりの短い論説だか何だか分らないようなのがあって、一番おしまいに道真左遷の事を論ズと云うのがあった。割合に下らないもんだった。それから「約百記」を半分ほどよんだ。□百□(の信仰の力の強いのにビックリ・・・ 宮本百合子 「日記」
・・・宮様と同じ隊であった息子が、前線で戦死したことを息子の余栄として、皇后の巻かれた繃帯で、わが良人、わが子のもがれた手足がくるまれ、目しいた眼が包まれることで、日本の女性の苦悩と疑惑とが感涙によって洗い流されなければならなかった。恩賜の義足、・・・ 宮本百合子 「平和への荷役」
・・・工場裏に似たそれは皇后児童病院だった。 チラリと水がはがね色に光った。掘割だ。高架鉄道陸橋は四階の窓と窓とを貫通した。 タクシーがちらほら走った。 おや、しゃれた警笛が鳴るじゃないか。なるほど乗合自動車はやっとロンド・・・ 宮本百合子 「ロンドン一九二九年」
・・・この時代の歴史の上に父の姓とともに固有の名を記されているのは、極く少数の、藤原氏直系の娘たちだけで、いずれも皇后、妃、中宮などになった人達ばかりである。 藤原氏は、宮廷内のあらゆる隅々まで一族の権力を伸張させるために、抑々藤原鎌足の時代・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
・・・この事実を知っていたものは貞淑無二な彼の前皇后ジョセフィヌただ一人であった。 彼の肉体に植物の繁茂し始めた歴史の最初は、彼の雄図を確証した伊太利征伐のロジの戦の時である。彼の眼前で彼の率いた一兵卒が、弾丸に撃ち抜かれて顛倒した。彼はその・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
出典:青空文庫