・・・それほど私は賑な下座の囃しと桜の釣枝との世界にいながら、心は全然そう云うものと没交渉な、忌わしい色彩を帯びた想像に苦しめられていたのです。ですから中幕がすむと間もなく、あの二人の女連れが向うの桟敷にいなくなった時、私は実際肩が抜けたようなほ・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・是等の男女はチエホフの作中にも屡その面を現せども、チエホフの主人公は我等読者を哄笑せしむること少しとなさず。久保田君の主人公はチエホフのそれよりも哀婉なること、なお日本の刻み煙草のロシアの紙巻よりも柔かなるが如し。のみならず作中の風景さえ、・・・ 芥川竜之介 「久保田万太郎氏」
・・・それが証拠には、袈裟との交渉が絶えたその後の三年間、成程己はあの女の事を忘れずにいたにちがいないが、もしその以前に己があの女の体を知っていたなら、それでもやはり忘れずに思いつづけていたであろうか。己は恥しながら、然りと答える勇気はない。己が・・・ 芥川竜之介 「袈裟と盛遠」
・・・且又利害を超越した情熱に富んでいることは常に政治家よりも高尚である。 事実 しかし紛紛たる事実の知識は常に民衆の愛するものである。彼等の最も知りたいのは愛とは何かと言うことではない。クリストは私生児かどうかと言うことであ・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・大声に、――実際その哄笑の声は、烈しい敵味方の銃火の中に、気味の悪い反響を喚び起した。「万歳! 日本万歳! 悪魔降伏。怨敵退散。第×聯隊万歳! 万歳! 万々歳!」 彼は片手に銃を振り振り、彼の目の前に闇を破った、手擲弾の爆発にも頓着・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・いずれも宣教師の哄笑の意味をはっきり理解した頬笑みである。「お嬢さん。あなたは好い日にお生まれなさいましたね。きょうはこの上もないお誕生日です。世界中のお祝いするお誕生日です。あなたは今に、――あなたの大人になった時にはですね、あなたは・・・ 芥川竜之介 「少年」
・・・ そのほかまだ数え立てれば、砲兵工廠の煙突の煙が、風向きに逆って流れたり、撞く人もないニコライの寺の鐘が、真夜中に突然鳴り出したり、同じ番号の電車が二台、前後して日の暮の日本橋を通りすぎたり、人っこ一人いない国技館の中で、毎晩のように大・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・父は道庁への交渉と資金の供給とに当たりました。そのほか父はその老躯をたびたびここに運んで、成墾に尽力しました。父は、私が農学を研究していたものだから、私の発展させていくべき仕事の緒口をここに定めておくつもりであり、また私たち兄弟の中に、不幸・・・ 有島武郎 「小作人への告別」
・・・第四階級者以外の生活と思想とによって育ち上がった私たちは、要するに第四階級以外の人々に対してのみ交渉を持つことができるのだ。ストーヴにあたりながら物をいっているどころではない。全く物などはいっていないのだ」と。 私自身などは物の数にも足・・・ 有島武郎 「宣言一つ」
・・・別室にて哄笑の声二人くやしそうに離れたところにすわる。とも子 今夜帰ったら、私すぐお母さんにそういって、いやでも応でも承知させますわ。で、こんどのあなたの名まえは……戸部 俺はなんという名まえにするかな……とも子 いいわ、・・・ 有島武郎 「ドモ又の死」
出典:青空文庫