・・・ 各校にある筆道、句読、算術師のほかに、巡講師なる者あり。その数およそ十名。六十四校を順歴して毎校に講席を設くること一月六度、この時には区内の各戸より必ず一人ずつ出席して講義を聴かしむ。その講ずるところの書は翻訳書を用い、足らざるときは・・・ 福沢諭吉 「京都学校の記」
・・・ 試みに西洋諸国の工商社会を見れば、某は何々の工事を企てて何十万円を得たり、某は何々の商売に何百万の産をなしたりという、その人の身は、必ず学校より出でたる者にして、少小教育の所得を、成年の後、殖産の実地に施し、もって一身一家の富をいたし・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾学生諸氏に告ぐ」
・・・一身一家の不始末はしばらくさしおき、これを公に論じても、税の収納、取引についての公事訴訟、物産の取調べ、商売工業の盛衰等を検査して、その有様を知らんとするにも、人民の間に帳合法のたしかなる者あらざれば、暗夜に物を探るが如くにして、これに寄つ・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
・・・古来、田舎にて好事なる親が、子供に漢書を読ませ、四書五経を勉強する間に浮世の事を忘れて、変人奇物の評判を成し、生涯、身を持て余したる者は、はなはだ少なからず。ひっきょう、技芸にても道徳にても、これを教うるに順序を誤り場所を誤るときは、有害無・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
・・・ひろく万国の書を読て世界の事状に通じ、世界の公法をもって世界の公事を談じ、内には智徳を脩て人々の独立自由をたくましゅうし、外には公法を守て一国の独立をかがやかし、はじめて真の大日本国ならずや。これすなわち我が輩の着眼、皇漢洋三学の得失を問わ・・・ 福沢諭吉 「中津留別の書」
・・・余の家の南側は小路にはなって居るが、もと加賀の別邸内であるのでこの小路も行きどまりであるところから、豆腐売りでさえこの裏路へ来る事は極て少ないのである。それでたまたま珍らしい飲食商人が這入って来ると、余は奨励のためにそれを買うてやりたくなる・・・ 正岡子規 「九月十四日の朝」
・・・ヤア品川湾がすっかり見えるネー、なるほどあれが築港の工事をやっているのか。実に勇ましいヨ。どしどし遣らなくっちゃいかんヨ。」「君はどの汽車に乗るのだ。」「僕は二時半の東海道線だが、尤も本所へも寄って行きたいのだが、本所はずれまで人力で往復し・・・ 正岡子規 「初夢」
・・・北緯二十五度東経六厘の処に、目的のわからない大きな工事ができましたとな。二人とも言ってごらん」「北緯二十五度東経六厘の処に目的のわからない大きな工事ができました」「そうだ。では早く。そのうち私は決してここを離れないから」 蟻の子・・・ 宮沢賢治 「ありときのこ」
・・・ぼくはいまその電燈を通り越とジョバンニが思いながら、大股にその街燈の下を通り過ぎたとき、いきなりひるまのザネリが、新らしいえりの尖ったシャツを着て電燈の向う側の暗い小路から出て来て、ひらっとジョバンニとすれちがいました。「ザネリ、烏・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・教会へ行く途中、あっちの小路からも、こっちの広場からも、三人四人ずついろいろな礼装をした人たちに、私たちは会いました。燕尾服もあれば厚い粗羅紗を着た農夫もあり、綬をかけた人もあれば、スラッと瘠せた若い軍医もありました。すべてこれらは、私たち・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
出典:青空文庫