・・・十一月二十日に朝日講堂で神近さんの婦人文芸主催の文芸講演会では私の話がよろこばれ、私としても、あんなに身をいれて、わかりやすく、文学といっても一般化して云うことは出来ぬこと、文学を作るものの社会生活が反映して来ることを様々の作品の例をとって・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・この講堂を、ここに来ていられる方の誰が所有したいと思っているでしょう。いい病院がほしいということ、いい図書館がほしい、いい託児所がほしい、というわたしたちの希望は、それを自分の所有として、私有の財産として登記したい心もちとはちがいます。社会・・・ 宮本百合子 「社会と人間の成長」
・・・ 目白の女子大学には、まだ成瀬校長が存命であって、私が英文予科の一年に入ったときは、ゴチックまがいの講堂で一人一人前へ出て画帳のようなものへ毛筆で何か文句を書かされたりした。私は大変本気な顔つきで、求めよ、さらば与へられん、という字を書・・・ 宮本百合子 「青春」
・・・戦災者や引揚者が住むに家なく警察の講堂に検束される形でやっと雨露をしのぐ有様が一方にあるのに。 第三は、インテリゲンチャの間から野間宏、椎名麟三、中村真一郎氏その他の作家が注目すべき創作活動を行ったこと、勤労大衆の文化的活動がさかんにな・・・ 宮本百合子 「一九四七・八年の文壇」
・・・ あんまり大きくない講堂で、円柱が立ちならんでいる舞台の奥にひろい演壇がある。レーニンの立像がある。赤いプラカートがはられている。そこへ、革命十周年記念祭のお客で日本から来ていた米川正夫、秋田雨雀をはじめ、自分も並んで、順ぐりに短い話を・・・ 宮本百合子 「ソヴェト文壇の現状」
・・・恐ろしいことではないか、自分の此から書こうとする黄銅時代は、更に甦り、強められた自責の念と、謙譲な虚心とによって書かれなければならないのだ。 四月二十八日 今日、福井の方から転送されて来た国男の手紙を見る。 仮令感傷的だと云・・・ 宮本百合子 「日記・書簡」
・・・ 木枯の吹く午後おそく、ひろ子は、前後左右ぎっしり職場の若い婦人たちで埋った講堂で、ニュース映画を観ていた。それは「君たちは話すことが出来る」と云う題であった。十月十日に、同志たちが解放される前後を中心として、治安維持法と、その非道な所・・・ 宮本百合子 「風知草」
三年前の五月、学生祭の日、この講堂は、甦った青春のエネルギーにみちあふれた数千の男女学生によって埋められました。 三年のちのこんにち、ふたたびここは、数千の男女学生によってみたされています。きょうここに参集した、われら・・・ 宮本百合子 「若き僚友に」
・・・ここは山のかいにて、公道を距ること遠ければ、人げすくなく、東京の客などは絶て見えず、僅に越後などより来りて浴する病人あるのみ。宿とすべき家を問うにふじえやというが善しという。まことは藤井屋なり。主人驚きて簷端傾きたる家の一間払いて居らす。家・・・ 森鴎外 「みちの記」
・・・そうでなければ次ぎの進歩が分りかねるからであるが、昨年の夏、総持寺の管長の秋野孝道氏の禅の講話というのをふと見ていると、向上ということには進歩と退歩の二つがあって、進歩することだけでは向上にはならず、退歩を半面でしていなければ真の向上とはい・・・ 横光利一 「作家の生活」
出典:青空文庫