・・・わたくし達は又既に百花園の荒廃に帰して今更これを訪うべき価値のないことをも熟知していた。さればこの場合に之を云々するのは、恰も七十の老翁を捉えて生命保険の加入契約を勧告し、或はまた玉の井の女に向って悪疾の有無を問うにもひとしく、あまりにばか・・・ 永井荷風 「百花園」
・・・しかしこの名園は災禍の未だ起らざる以前既に荒廃して殆その跡を留めていなかった。枕橋のほとりなる水戸家の林泉は焦土と化した後、一時土砂石材の置場になっていたが、今や日ならずして洋式の新公園となるべき形勢を示している。吾人は日比谷青山辺に見るが・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・かつて何もなかった処であるから、荒廃でもなく破壊でもない。放棄せられたまま顧みられない風景とでもいうのであろう……。 セメントの新道路は鉄道線路の向へ行っても、まだ行先が知れない。初めわたくしはほどなく荒川放水路の土手に達するつもりであ・・・ 永井荷風 「元八まん」
・・・荒廃のいとも気高き眺めの中には、美しき昔のさまの影もあはれや、遊楽後を絶ちて唯だ変りなきその池水のみ、昔の秩序と静寧の中に息ひたるこそ嬉しけれ。という句がある。 自分が頻に芝山内の霊廟を崇拝して止まないのも全・・・ 永井荷風 「霊廟」
一 太十は死んだ。 彼は「北のおっつあん」といわれて居た。それは彼の家が村の北端にあるからである。門口が割合に長くて両方から竹藪が掩いかぶって居る。竹藪は乱伐の為めに大分荒廃して居るが、それでも庭からそこらを陰鬱にして居る。・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・要するに取捨興廃の権威共に自己の手中にはない事になる。したがって自分が最上と思う製作を世間に勧めて世間はいっこう顧みなかったり自分は心持が好くないので休みたくても世間は平日のごとく要求を恣にしたりすべて己を曲げて人に従わなくては商売にはなら・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・個人主義は人を目標として向背を決する前に、まず理非を明らめて、去就を定めるのだから、ある場合にはたった一人ぼっちになって、淋しい心持がするのです。それはそのはずです。槙雑木でも束になっていれば心丈夫ですから。 それからもう一つ誤解を防ぐ・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・一、文学はその興廃を国政とともにすべきものにあらず。百年以来、仏蘭西にて騒乱しきりに起り、政治しばしば革るといえども、その文運はいぜんたるのみならず、騒乱の際にも、日に増し月に進み、文明を世界に耀かしたるは、ひっきょう、その文学の独立せ・・・ 福沢諭吉 「学校の説」
・・・幸にして今日に及びようやく旧に復するの模様あれども、空しく二年の時日を失い、生徒分散、家屋荒廃、書籍を失い器械を毀ち、その零落、名状するに堪えず。あたかも文学の気は二年の間窒塞せしが如し。天下一般の大損亡というべし。先にこの開成所をして平人・・・ 福沢諭吉 「学校の説」
・・・それに気が附かないで独悟ったつもりになって後輩を軽蔑して居ると思わぬ不覚を取る事がないとも限らぬ。現にその選句を見ても時として極めて幼稚なる句あるいは時として月並調に近い句でさえも取ってある事がある。今少し進歩的研究的の精神が必要である。・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
出典:青空文庫