・・・そしてその体裁をして荒涼なるジェネアロジックの方向を取らしめたのは、あるいはかのゾラにルゴン・マカアルの血統を追尋させた自然科学の余勢でもあろうか。 しかるにわたくしには初めより自己が文士である、芸術家であるという覚悟はなかった。また哲・・・ 森鴎外 「なかじきり」
・・・いが、先生自分で鞭を持って、ひゅあひゅあしょあしょあとかなんとか云って、ぬかるみ道を前進しようとしたところが、騾馬やら、驢馬やら、ちっぽけな牛やらが、ちっとも言うことを聞かないで、綱がこんがらかって、高粱の切株だらけの畑中に立往生をしたのは・・・ 森鴎外 「鼠坂」
・・・二人の争いは、トルコの香料の匂いを馥郁と撒き散らしながら、寝台の方へ近づいて行った。緞帳が閉められた。ペルシャの鹿の模様は暫く緞帳の襞の上で、中から突き上げられる度毎に脹れ上って揺れていた。「陛下、お気をお鎮めなさりませ。私はジョセフィ・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
・・・しかし私は彼らが不死身であるか否かを考量した後に彼らを捨てたのではなかった。私にとっては、彼らが痛みを感ずる程度よりも、「かつて親しかった者を捨てた」という行為そのものが問題になるのである。従って人を傷つけたか否かよりも、人を傷つける行為を・・・ 和辻哲郎 「転向」
・・・一人の遊冶郎の美的生活は家庭の荒寥となり母の涙となり妻の絶望となる。冷たき家庭に生い立つ子供は未来に希望の輝きがない。また安逸に執着する欲情を見よ。勉強するはいやである。勉強を強うる教師は学生の自負と悦楽を奪略するものである。寄席にあるべき・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
・・・吾人の四綱領は武士道の真髄でありソシアリティの変態であろう。しかれどもこの美名の下に隠れたる「美ならざる」者ははたして存在せざるか。向陵の歴史は栄あるものであろう。しかれどもこの影に潜める悪習慣を見よ! 吾人はあえて一二の例を取る。そもそも・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫