・・・と「暗夜行路」と、それから「灰色の月」の掲載誌とを借りることが出来た。「暗夜行路」 大袈裟な題をつけたものだ。彼は、よくひとの作品を、ハッタリだの何だのと言っているようだが、自分のハッタリを知るがよい。その作品が、殆んどハッタリであ・・・ 太宰治 「如是我聞」
・・・終局の場面でも、人生の航路に波が高くて、舳部に砕ける潮の飛沫の中にすべての未来がフェードアウトする。伴奏音楽も唱歌も、どうも自分には朗らかには聞こえない。むしろ「前兆的」な無気味な感じがするようである。 海岸に戯れる裸体の男女と、いろい・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・鉄骨ペンキ塗りの展望塔がすっかり板に付いて見える。黄櫨や山葡萄が紅葉しており、池には白い睡蓮が咲いている。駒ヶ岳は先年の噴火の時に浴びた灰と軽石で新しく化粧されて、触ったらまだ熱そうに見える。首のない大きなライオンが北向きに坐っているような・・・ 寺田寅彦 「札幌まで」
・・・ われわれの生活の行路の上にもまたこういう橋の袂がある。そうしてそこで自分の過去の重荷を下ろそうとして躊躇することがしばしばある。同様に国家社会の歴史の進展の途上にも幾多の橋の袂がある。教育家為政者は行手の橋の袂の所在を充分に地図の上で・・・ 寺田寅彦 「さまよえるユダヤ人の手記より」
・・・人生行路に横たわる幾多の陥穽に対する警戒の芽生えを植付けてくれたような気がする。他人の軽微な苦痛を己が享楽の小杯に盛ろうとする不思議な心理がいかなる善良な人々の心の奧にも潜在することを教えてくれたようである。それから、冒険というものに対する・・・ 寺田寅彦 「重兵衛さんの一家」
・・・これと似たことが人生行路にもありはしないかと思う。 それはとにかく、先を争うて押し合う心理も昇降機の場合にはたいした恐ろしい結果は生じない。定員人数の制限を守りさえすれば墜落の恐れはめったにない。しかしこの同じ心理が恐るべき惨害をかもす・・・ 寺田寅彦 「蒸発皿」
・・・ 青磁の徳利にすすきと桔梗でも生けると実にさびしい秋の感覚がにじんだ。あまりにさびしすぎて困るかもしれない。 青磁の香炉に赤楽の香合のモンタージュもちょっと美しいものだと思う。秋の空を背景とした柿もみじを見るような感じがする。 ・・・ 寺田寅彦 「青磁のモンタージュ」
・・・それを通り越すと香炉のふたのような形の島が見えたが名はわからなかった。 一等客でコロンボから乗った英国人がけさ投身したと話していた。妻と三人の子供をなくしてひとりさびしく故国へ帰る道であったそうな。四月二十六日 午後T氏がわざわ・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・ これは余談ではあるが、よく考えてみると、いわゆる人生の行路においても存外この電車の問題とよく似た問題が多いように思われて来る。そういう場合に、やはりどうでも最初の満員電車に乗ろうという流儀の人と、少し待っていて次の車を待ち合わせよ・・・ 寺田寅彦 「電車の混雑について」
・・・芭蕉の行脚の掟はそっくりそのままに人生行路の掟である。僧心敬が「ただ数奇と道心と閑人との三のみ大切の好士なるべくや」と言ったというが、芭蕉の数奇をきわめた体験と誠をせめる忠実な求道心と物にすがらずして取り入れる余裕ある自由の心とはまさしくこ・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
出典:青空文庫