・・・灰色の繻子に酷似した腹、黒い南京玉を想わせる眼、それから癩を病んだような、醜い節々の硬まった脚、――蜘蛛はほとんど「悪」それ自身のように、いつまでも死んだ蜂の上に底気味悪くのしかかっていた。 こう云う残虐を極めた悲劇は、何度となくその後・・・ 芥川竜之介 「女」
・・・一方そう云う疑いがある所へ、君は今この汽車の中で西郷隆盛――と云いたくなければ、少くとも西郷隆盛に酷似している人間に遇った。それでも君には史料なるものの方が信ぜられますか。」「しかしですね。西郷隆盛の屍体は確かにあったのでしょう。そうす・・・ 芥川竜之介 「西郷隆盛」
・・・一時にある事に自分の注意を集中した場合に、ほとんど寝食を忘れてしまう。国事にでもあるいは自分の仕事にでも熱中すると、人と話をしていながら、相手の言うことが聞き取れないほど他を顧みないので、狂人のような状態に陥ったことは、私の知っているだけで・・・ 有島武郎 「私の父と母」
・・・この快楽を目して遊戯的分子というならば、発明家の苦辛にも政治家の経営にもまた必ず若干の遊戯的分子を存するはずで、国事に奔走する憂国の志士の心事も――無論少数の除外はあるが――後世の伝記家が痛烈なる文字を陳ねて形容する如き朝から晩まで真剣勝負・・・ 内田魯庵 「二葉亭四迷」
・・・ しかし、眼前の社会においても、甚だ原始的なる子供の本能と酷似した、残忍性のあるのを発見します。即ち、生き得る条件の下に置かれざる者にも、一律的に消費の義務をはたさせようとするが如き、これです。たとえば、失業者及びこれと近い生活をする者・・・ 小川未明 「近頃感じたこと」
・・・やけくその行為は、しばしば殉教者のそれと酷似する。短い期間ではあったが、男は殉教者のそれとかわらぬ辛苦を嘗めた。風にさからい、浪に打たれ、雨を冒した。この艱難だけは、信頼できる。けれども、もともと絶望の行為である。おれは滅亡の民であるという・・・ 太宰治 「花燭」
・・・いま僕は、こうして青扇と対座して話合ってみるに、その骨骼といい、頭恰好といい、瞳のいろといい、それから音声の調子といい、まったくロンブロオゾオやショオペンハウエルの規定している天才の特徴と酷似しているのである。たしかに、そのときにはそう思わ・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・そうして、その夜の私にとって、縊死は、健康の処生術に酷似していた。綿密の損得勘定の結果であった。私は、猛く生きとおさんがために、死ぬるのだ。いまさら問答は無用であろう。死ぬることへ、まっすぐに一すじ、明快、完璧の鋳型ができていて、私は、鎔か・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・私たちの古典に対する、この光景と酷似して居る。源氏物語自体が、質的にすぐれているとは思われない。源氏物語と私たちとの間に介在する幾百年の雨風を思い、そうしてその霜や苔に被われた源氏物語と、二十世紀の私たちとの共鳴を発見して、ありがたくなって・・・ 太宰治 「古典竜頭蛇尾」
・・・親馬鹿というものに酷似している。いい図ではない。 日本には「誠」という倫理はあっても、「純真」なんて概念は無かった。人が「純真」と銘打っているものの姿を見ると、たいてい演技だ。演技でなければ、阿呆である。家の娘は四歳であるが、ことしの八・・・ 太宰治 「純真」
出典:青空文庫