・・・女房は檻房の床の上に倒れて死んでいた。それを見附けて、女の押丁が抱いて寝台の上に寝かした。その時女房の体が、着物だけの目方しかないのに驚いた。女房は小鳥が羽の生えた儘で死ぬように、その着物を着た儘で死んだのである。跡から取調べたり、周囲の人・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・一段降りて河畔の運動場へ出ると、男女学生の一と群が小鳥のごとく戯れ遊んでいた。男の方がたいてい大人しくしおらしくて女の方がたいて活溌で度胸がいいのがこうした群に共通な現象のようである。神代以来の現象かもしれない。カメラを持った男のきっと交じ・・・ 寺田寅彦 「異質触媒作用」
・・・夏冬ともに人の声よりも小鳥の囀る声が耳立つかと思われる。 生垣の間に荷車の通れる道がある。 道の片側は土地が高くなっていて、石段をひかえた寂しい寺や荒れ果てた神社があるが、数町にして道は二つに分れ、その一筋は岡の方へと昇るやや急な坂・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・空には一群一群の小鳥が輪を作ッて南の方へ飛んで行き、上野の森には烏が噪ぎ始めた。大鷲神社の傍の田甫の白鷺が、一羽起ち二羽起ち三羽立つと、明日の酉の市の売場に新らしく掛けた小屋から二三個の人が現われた。鉄漿溝は泡立ッたまま凍ッて、大音寺前の温・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・ 肌寒や馬のいなゝく屋根の上 かろうじて一足の草鞋求め心いさましく軽井沢峠にかかりて 朝霧や馬いばひあふつゞら折 馬は新道を行き我は近道を登る。小鳥に踏み落されて阪道にこぼれたる団栗のふつふつと蹄に砕かれ杖にころがさ・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・すると不意に、空でブルルッとはねの音がして、二疋の小鳥が降りて参りました。 大きい方は、まるい赤い光るものを大事そうに草におろして、うやうやしく手をついて申しました。 「ホモイさま。あなたさまは私ども親子の大恩人でございます」 ・・・ 宮沢賢治 「貝の火」
・・・ お天気の好い日には、其の沢山の葉が、みな日光にキラキラと輝き、下萌えの草は風に戦ぎ、何処か見えない枝の蔭で囀る小鳥の声が、チイチクチクチクと、楽しそうに合唱します。真個に輝く太陽や、樹や小鳥は、美しゅうございます。 政子さんも、そ・・・ 宮本百合子 「いとこ同志」
・・・と、雪は籠の中の小鳥が人を見るように、くりくりした目の瞳を秀麿の顔に向けて云った。雪は若檀那様に物を言う機会が生ずる度に、胸の中で凱歌の声が起る程、無意味に、何の欲望もなく、秀麿を崇拝しているのである。 この時雪の締めて置いた戸を、廊下・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・雪のふかく降りつもっている路を歩いているとき、一羽の小鳥が飛んで来て彼の周囲を舞い歩いた。少年の栖方はそれが面白かった。両手で小鳥を掴もうとして追っかける度に、小鳥は身を翻して、いつまでも飛び廻った。「おれのう、もう掴まるか、もう掴まる・・・ 横光利一 「微笑」
・・・おりふしかわいい小鳥の群れが活き活きした声でさえずり交わして、緑の葉の間を楽しそうに往き来する。――それが私の親しい松の樹であった。 しかるにある時、私は松の樹の生い育った小高い砂山を崩している所にたたずんで、砂の中に食い込んだ複雑な根・・・ 和辻哲郎 「樹の根」
出典:青空文庫