・・・を書かせ、公爵近衛文麿の戦争をけしかける論文。今ジェネヴで「泥棒にも三分の理」にさえならぬ図々しい屁理屈をこねている日本帝国主義の三百代言松岡洋右の提灯もちなどとともに、大衆を犠牲として恐慌を切りぬけようとする支配階級帝国主義戦争強行のチン・・・ 宮本百合子 「『キング』で得をするのは誰か」
・・・婦人の政治参加の問題どころか、戦争に熱中した政府は戦争に対する人民の批判や疑問を封鎖するために、近衛首相を主唱者として、政党を解消させ、翼賛政治会というものにして、議会そのものの機能を奪った。婦人運動の各名流たちは、「精神総動員」に参加して・・・ 宮本百合子 「現実に立って」
・・・ 室生犀星氏が近衛公や一部の顕官に逢い、一夕文学談を交したことで、軍人、官吏も文学を理解しようとする誠意を持っていると感激し、庶民出生の長い艱難多かった自身の閲歴をも忘却して、忻然として「行動の文学」を提唱し、勇躍して満州へ行く悲喜劇的・・・ 宮本百合子 「今日の文学の鳥瞰図」
・・・例えば、このごろの上下の衆のもどらるゝ 去来腰に杖さす宿の気ちがひ 芭蕉二の尼に近衛の花のさかりきく 野水蝶はむぐらにとばかり鼻かむ 芭蕉芥子あまの小坊交りに打むれて・・・ 宮本百合子 「芭蕉について」
・・・「対人的には朋友を信じ博愛衆に及ぼし」近衛文麿、永井柳太郎等が文学を判ろうとしている誠意に感奮して、「実行の文学」を唱え、某方面の後援によって満州へ出かけられることに誇りを感じているらしい姿も、林氏の言葉につれて読者の心に思い浮んで来るので・・・ 宮本百合子 「文学における今日の日本的なるもの」
・・・今度社会正義に基くことをモットーとする近衛内閣によって、従来の「蚊文士」が「殿上人」となることとなった。「かかる官府の豹変は平安盛時への復帰とも解釈されるし、また政府の思想的一角が今日、俄かに欧化した」とも云い得るかのようであるが、実際には・・・ 宮本百合子 「矛盾の一形態としての諸文化組織」
・・・ 二十三で権中納言、二十七で従二位中宮太夫となった道長は、三十歳の長徳元年、左近衛の大将を兼ねるようになったが、その前後に、大臣公卿が夥しく没した。その年のうちにも三月二十八日に閑院大納言、四月十日には中関白。小一條左大将済時卿は四月二・・・ 宮本百合子 「余録(一九二四年より)」
・・・三十六歳で右近衛権少将にせられた家康の一門はますます栄えて、嫡子二郎三郎信康が二十一歳になり、二男於義丸(秀康が五歳になった時、世にいう築山殿事件が起こって、信康はむざんにも信長の嫌疑のために生害した。後に将軍職を承け継いだ三男長丸(秀忠は・・・ 森鴎外 「佐橋甚五郎」
・・・わがメエルハイムの見えぬはいかにとおもいしが、げに近衛ならぬ士官はおおむね招かれぬものをと悟りぬ。さてイイダ姫の舞うさまいかにと、芝居にて贔屓の俳優みるここちしてうち護りたるに、胸にそうびの自然花を梢のままに着けたるほかに、飾りというべきも・・・ 森鴎外 「文づかい」
・・・皇室警衛のために東京には近衛師団がある。巡査や憲兵も沢山いる。警手もいる。我々の出る幕ではない。――しかし父が自ら警衛したいという心持ちにも当然の理由を認めざるを得なかった。父の皇室に対する情熱は、乃木大将のそれのように、個人的なものである・・・ 和辻哲郎 「蝸牛の角」
出典:青空文庫