・・・戸の木肌はあらわに外面に向かって曝されていた。――ある感動で堯はそこに彳んだ。傍らには彼の棲んでいる部屋がある。堯はそれをこれまでついぞ眺めたことのない新しい感情で眺めはじめた。 電燈も来ないのに早や戸じまりをした一軒の家の二階――戸の・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・枝の生えかたがちがうし、それに、木肌の日の反射のしかただって鈍いじゃないか。もっとも、芽が出てみないと判らぬけれど。」 私は立ったまま、枯木へ寄りかかって彼に尋ねた。「どうして芽が出ないのだ。」「春から枯れているのさ。おれがここ・・・ 太宰治 「猿ヶ島」
・・・飾り気一点なきも樸訥のさま気に入りてさま/″\話しなどするうち京都々々と呼ぶ車掌の声にあわたゞしく下りたるが群集の中にかくれたり。京に入りて息子とかの宿に行くまでの途中いさゝか覚束なく思わるゝは他人のいらぬ心配かは知らず。やがて稲荷を過ぐ。・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・知識の私に累せられない、純樸な百姓の自然の口からでなくては、こんな詞の出ようが無い。あの報告は生活の印象主義者の報告であった。 花房は八犬伝の犬塚信乃の容体に、少しも破傷風らしい処が無かったのを思い出して、心の中に可笑しく思った。 ・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
出典:青空文庫