・・・ですからあの秋山図も、今は誰の家に蔵されているか、いや、未に亀玉の毀れもないか、それさえ我々にはわかりません。煙客翁は手にとるように、秋山図の霊妙を話してから、残念そうにこう言ったものです。「あの黄一峯は公孫大嬢の剣器のようなものでした・・・ 芥川竜之介 「秋山図」
・・・泊した内国通いの郵船がけたたましい汽笛を鳴らして、淡い煙を残しながらだんだん遠ざかって行くのを見やって、ああ、自分もあの船に乗ったら、明後日あたりはもう故郷の土を踏んでいるのだと思うと、意気地なく涙が零れた。海から吹き揚げる風が肌寒い。・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・ 鞍は毀れ、六尺は折れてしまった。 それから三年たつ。 母は藤二のことを思い出すたびに、「あの時、角力を見にやったらよかったんじゃ!」「あんな短い独楽の緒を買うてやらなんだらよかったのに!――緒を柱にかけて引っぱ・・・ 黒島伝治 「二銭銅貨」
・・・が、主人はそれを顧みもせずやっぱり毀れた猪口の砕片をじっと見ている。 細君は笑いながら、「あなたにもお似合いなさらない、マアどうしたのです。そんなものは仕方がありませんから捨てておしまいなすって、サアーツ新規に召し上れな。」とい・・・ 幸田露伴 「太郎坊」
・・・そうしてその人が永い滞在の後に、なつかしい想いを残してその下宿を去る日になって、主婦の方から差出した勘定書を見ると、毀れた洗面鉢の代価がちゃんとついていたという話がある。 またある留学生の仲間がベルリンのTという料理屋で食事をした時に、・・・ 寺田寅彦 「ある日の経験」
・・・かちゃんと落っこってバラバラに毀れた。それをまた組立てて綱渡りをさせるのが自分の責任だがどうしたらよいかと思い惑っていると、周囲のラウベンコロニーの青い小屋からドイツ人の男女がぞろぞろ出て来た。 なんだかこんな風な夢であったのですが、今・・・ 寺田寅彦 「御返事(石原純君へ)」
・・・木造二階家の玄関だけを石造にしたようなのが、木造部は平気であるのに、それにただそっともたせかけて建てた石造の部分が滅茶滅茶に毀れ落ちていた。これははじめからちょっとした地震で、必ず毀れ落ちるように出来ているのである。 岸壁が海の方へせり・・・ 寺田寅彦 「静岡地震被害見学記」
・・・老人や軍人の男装をした踊り子までがみんな女の子のきいきい声を出すので猶更そういう「毀れやすい」感じを起こさせるようである。例えばヴァイオリンのE線だけによる協奏楽というものが、もしあったとしたら、丁度こんなものではないかという気がした。テン・・・ 寺田寅彦 「マーカス・ショーとレビュー式教育」
・・・奇麗に平して入れてあった粟がはらはらと籠の底に零れた。文鳥は嘴を上げた。咽喉の所で微な音がする。また嘴を粟の真中に落す。また微な音がする。その音が面白い。静かに聴いていると、丸くて細やかで、しかも非常に速かである。菫ほどな小さい人が、黄金の・・・ 夏目漱石 「文鳥」
・・・町全体が一つの薄い玻璃で構成されてる、危険な毀れやすい建物みたいであった、ちょっとしたバランスを失っても、家全体が崩壊して、硝子が粉々に砕けてしまう。それの安定を保つためには、微妙な数理によって組み建てられた、支柱の一つ一つが必要であり、そ・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
出典:青空文庫