・・・ 私がお茶を持って客間へ行ったら、誰やらのポケットから、小さい林檎が一つころころところげ出て、私の足もとへ来て止り、私はその林檎を蹴飛ばしてやりたく思いました。たった一つ。それをお土産だなんて図々しくほらを吹いて、また鰻だって後で私が見・・・ 太宰治 「饗応夫人」
・・・転進という、何かころころ転げ廻るボールを聯想させるような言葉も発明された。敵わが腹中にはいる、と言ってにやりと薄気味わるく笑う将軍も出て来た。私たちなら蜂一匹だって、ふところへはいったら、七転八倒の大騒ぎを演ぜざるを得ないのに、この将軍は、・・・ 太宰治 「苦悩の年鑑」
・・・七時五分着、急行列車がいまプラットホームにはいったばかりのところで、黒色の蟻が、押し合い、へし合い、あるいはころころころげ込むように、改札口めがけて殺到する。手にトランク。バスケットも、ちらほら見える。ああ、信玄袋というものもこの世にまだ在・・・ 太宰治 「座興に非ず」
・・・前足でころころポチをおもちゃにして、本気につきあってくれなかったのでポチも命が助かった。犬は、いちどあんなひどいめに逢うと、大へん意気地がなくなるものらしい。ポチは、それからは眼に見えて、喧嘩を避けるようになった。それに私は、喧嘩を好まず、・・・ 太宰治 「畜犬談」
・・・夜、太郎は母者人のふところから音もたてずにころがり出た。ころころと土間へころげ落ち、それから戸外へまろび出た。戸外へ出てから、しゃんと立ちあがったのである。惣助も、また母者人も、それを知らずに眠っていた。 満月が太郎のすぐ額のうえに浮ん・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・の二、三が中心を失って倒れかかってきたためでもあろうが、令嬢の美にうっとりとしていたかれの手が真鍮の棒から離れたと同時に、その大きな体はみごとにとんぼがえりを打って、なんのことはない大きな毬のように、ころころと線路の上に転がり落ちた。危ない・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・三吉は縁のはしに腰かけ、手拭で顔をふいたが、二人のわらいごえにつれられて、まげに赤い手絡をかけた深水の嫁さんが、うちわをそッと三吉のまえにだすと、同時にからだをひきながら、ころころとわらいころげた。「ずいぶん、ごねっしんね」 低声で・・・ 徳永直 「白い道」
・・・「狼森のまんなかで、火はどろどろぱちぱち火はどろどろぱちぱち、栗はころころぱちぱち、栗はころころぱちぱち。」 みんなはそこで、声をそろえて叫びました。「狼どの狼どの、童しゃど返して呉ろ。」 狼はみんな・・・ 宮沢賢治 「狼森と笊森、盗森」
・・・底は青い小さなつぶ石でたいらにうずめられ、石の間から奇麗な水が、ころころころころ湧き出して泉の一方のふちから天の川へ小さな流れになって走って行きます。私共の世界が旱の時、瘠せてしまった夜鷹やほととぎすなどが、それをだまって見上げて、残念そう・・・ 宮沢賢治 「双子の星」
・・・傍から、忠一も顔を出し、暫くそれを見ていたと思うと、彼はいきなりくるりとでんぐり返りを打って、とろとろ、ころころ砂の斜面を転がり落ちた。「ウワーイ」 悌が手脚を一緒くたに振廻してそのあとを追っかけた。けろりとして戻って来ながら、・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
出典:青空文庫