秀吉金冠を戴きたりといえども五右衛門四天を着けたりといえども猿か友市生れた時は同じ乳呑児なり太閤たると大盗たると聾が聞かば音は異るまじきも変るは塵の世の虫けらどもが栄枯窮達一度が末代とは阿房陀羅経もまたこれを説けりお噺は山・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・それでも名所をあるきまわって、はちまん様のまえで、飴を買って食べましたが、私、そのとき右の奥歯の金冠二本をだめにしてしまって、いまでもそのままにして放って置いてあるのですが、時々、しくしくいたみます。 ――ふっと思い出したが、ヴェルレエ・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・これらはサンスクリトとしてはきわめて明白に、それぞれ全く異なる根幹から生じたものであるのに、音のほうではどこか共通なものがあり、同時に意味のほうにも共通なものがあるから全く不思議な事実である。 英語の brave や bravo も「べ・・・ 寺田寅彦 「言葉の不思議」
・・・継ぎ歯、金冠、ブリッジなどといったような数々の工事にはずいぶんめんどうな手数がかかった。抜歯も何本か必要であったが、昔とちがってコカインのおかげでたいした痛みはなかった。ただし、左の下あごの犬歯の根だけ残っていたのが容易に抜けないので、がん・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・しかし、ヘブライ語の相撲という言葉の根幹を成す「アバク」という語は本来「塵埃」の意味があるからやはり地べたにころがしっこをするのであったかもしれない。そうして相撲の結果として足をくじいてびっこを引くこともあったらしい。それから、これは全く偶・・・ 寺田寅彦 「相撲」
・・・ 現代科学の花や実の美しさを賛美するわれわれは、往々にしてその根幹を忘却しがちである。ルクレチウスは実にわれわれにこの科学系統の根幹を思い出させる。そうする事によってのみわれわれは科学の幹に新しい枝を発見する機会を得るのであろう。 ・・・ 寺田寅彦 「ルクレチウスと科学」
・・・頭に戴ける金冠の、美しき髪を滑りてか、からりと馬の鼻を掠めて砕くるばかりに石の上に落つる。 槍の穂先に冠をかけて、窓近く差し出したる時、ランスロットとギニヴィアの視線がはたと行き合う。「忌まわしき冠よ」と女は受けとりながらいう。「さらば・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・生命の否定・人格無視・人種間の偏見を根幹とした軍事権力の支配とその教育のもとで、どうして若い幾千・幾万のこころが、個々の人間の尊厳や自我と社会現実との関係をつかむことが出来よう。 そういう意味で、一九四五年以後日本の若い精神をとらえた自・・・ 宮本百合子 「生きつつある自意識」
・・・夜の来た硝子の窓には背に燈火を負う私の姿が万年筆の金冠のみを燦然と閃かせ未生の夢に包まれたようにくろく 静かに 写って居る。 *ああ、海! 海広い懐の大海お前の際限ない胸を張れ!濤をあ・・・ 宮本百合子 「海辺小曲(一九二三年二月――)」
・・・ 網野さんが首をちぢめ、例の小ちゃい金冠の歯が光り、睫毛の長い独特の眼が感興で活々した。「行きましたか? 近頃」「いいえ、でも行く前に一遍来たいと思ったんです」 堤を行くとき、「言問いでこの頃洋食をやっているんですってね・・・ 宮本百合子 「九月の或る日」
出典:青空文庫