・・・限りなき嬉しさの胸に溢れると等しく、過去の悲惨と烈しき対照を起こし、悲喜の感情相混交して激越をきわむれば、だれでも泣くよりほかはなかろう。 相思の情を遂げたとか恋の満足を得たとかいう意味の恋はそもそも恋の浅薄なるものである。恋の悲しみを・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・だが、この寺内の淡島堂は神仏混交の遺物であって、仏具を飾って僧侶がお勤めをしていたから、椿岳もまた頭を剃円めて法体し、本然と名を改めて暫らくは淡島様のお守をしていた。 この淡島堂のお堂守時代が椿岳本来の面目を思う存分に発揮したので、奇名・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・また例えば金光寺門前の狐竜の化石延命院の牡丹の弁の如き、馬琴の得意の涅覓論であるが、馬琴としては因縁因果の解決を与えたのである。馬琴の人生観や宇宙観の批評は別問題として、『八犬伝』は馬琴の哲学諸相を綜合具象した馬琴宗の根本経典である。・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・子宮癌とのことだった。金光教に凝って、お水をいただいたりしているうちに、衰弱がはげしくて、寝付いた時はもう助からぬ状態だと町医者は診た。手術をするにも、この体ではと医者は気の毒がったが、お辰の方から手術もいや、入院もいやと断った。金のことも・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・腹中の人には、馬琴の小説はイヤに偏屈で、隅から隅まで尺度を当ててタチモノ庖丁で裁ちきったようなのが面白くなくも見えましょうが、それはそれとして置いて、馬琴の大手腕大精力と、それから強烈な自己の道義心と混淆化合してしまった芸術上の意見、即ち勧・・・ 幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」
・・・勿論道家と仏家は互に相奪っているから、支那において既に混淆しており、従って日本においても修験道の所為など道家くさいこともあり、仏家が「九字」をきるなど、道家の咒を用いたり、符ふろくの類を用いたりしている。神仏混淆は日本で起り、道仏混淆は支那・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・で食物をつッつきまぜ返して消化液をほどよく混淆させるのだそうである。ここにも造化の妙機がある。またある虫ではこれに似たもので濾過器の役目をすることもあるらしい。 もしかわれわれ人間の胃の中にもこんな歯があってくれたら、消化不良になる心配・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・古びたモザイックや壁画はどうしても今の世のものではなかった。金光燦爛たる祭壇の蝋燭の灯も数世紀前の光であった。壁に沿うて交番小屋のようなものがいくつかあった、その中に隠れた僧侶が、格子越しに訴える信者の懺悔を聞いていた。それはおもに若い女で・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・従って我等の国語にはあらゆる民族の言語が混淆し融合してしまって、今となっては容易に分析することが出来ないようになってしまっているように思われる。我等の同胞の顔貌の中にはまたあらゆる人種の定型がそれぞれに標本的に洩れなく代表されているようであ・・・ 寺田寅彦 「短歌の詩形」
・・・先ず案内の僧侶に導かれるまま、手摺れた古い漆塗りの廻廊を過ぎ、階段を後にして拝殿の堅い畳の上に坐って、正面の奥遥には、金光燦爛たる神壇、近く前方の右と左には金地に唐獅子の壁画、四方の欄間には百種百様の花鳥と波浪の彫刻を望み、金箔の円柱に支え・・・ 永井荷風 「霊廟」
出典:青空文庫