・・・彼は、ちょうど、その掏摸根性のような根性を持っていた。 密輸入商人の深沢洋行には、また、呉清輝のごとき人間がぜひ必要なのであった。 深沢は、シベリアを植民地のように思って、利権を漁って歩いた男だ。 ルーブル紙幣は、サヴエート同盟・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・源三の腹の中は秘しきれなくなって、ここに至ってその継子根性の本相を現してしまった。しかし腹の底にはこういう僻みを持っていても、人の好意に負くことは甚く心苦しく思っているのだ。これはこの源三が優しい性質の一角と云おうか、いやこれがこの源三の本・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・一時間が何千円に当った訳だ、なぞと譏る者があるが、それは譏る方がケチな根性で、一生理屈地獄でノタウチ廻るよりほかの能のない、理屈をぬけた楽しい天地のあることを知らぬからの論だ。趣味の前には百万両だって煙草の煙よりも果敢いものにしか思えぬこと・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・ とたちまち霧は消えてしまって、空は紺青に澄みわたって、その中を雲雀がかけていました。遠い遠い所に木のしげった島が見えます。白砂の上を人々が手を取り合って行きかいしております。祭壇から火の立ち登る柱廊下の上にそびえた黄金の円屋根に夕ぐれ・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
・・・やっぱりこれは、その、いまはやりの言葉で言えば奴隷根性というものなんでしょうね。私なんぞは、男の、それも、すれっからしと来ているのでございますから、たかが華族の、いや、奥さんの前ですけれども、四国の殿様のそのまた分家の、おまけに次男なんて、・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・あの人について歩いて、やがて天国が近づき、その時こそは、あっぱれ右大臣、左大臣になってやろうなどと、そんなさもしい根性は持っていない。私は、ただ、あの人から離れたくないのだ。ただ、あの人の傍にいて、あの人の声を聞き、あの人の姿を眺めて居れば・・・ 太宰治 「駈込み訴え」
・・・自分は、貧乏人根性は、いやだ。いじいじして、人の顔色ばっかり覗いている。自分は君に、尊敬なんか、してもらいたくなかった。お互い、なんの警戒も無しに遊びたかったのです。それだけだ。 君は、愛情のわからぬ人だね。いつでも何か、とくをしようと・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・音の鈴もちて曰くありげの青年巡礼、かたちだけでも清らに澄まして、まず、誰さん、某さん、おいとま乞いにお宅の庭さきに立ちて、ちりりんと鈴の音にさえわが千万無量のかなしみこめて、庭に茂れる一木一草、これが今生の見納め、断絶の思いくるしく、泣き泣・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・山頂近く、紺青と紫とに染められた岩の割目を綴るわずかの紅葉はもう真紅に色づいているが、少し下がった水準ではまだようやく色づき初めたほどであり、ずっと下の方はただ深浅さまざまの緑に染め分けられ、ほんのところどころに何かの黄葉を点綴しているだけ・・・ 寺田寅彦 「雨の上高地」
・・・黒潮に洗われるこの浦の波の色は濃く紺青を染め出して、夕日にかがやく白帆と共に、強い生々とした眺めである。これは美しいが、夜の欸乃は侘しい。訳もなしに身に沁む。此処に来た当座は耳に馴れぬ風の夜の波音に目が醒めて、遠く切れ/\に消え入る唄の声を・・・ 寺田寅彦 「嵐」
出典:青空文庫