・・・よくこんなに細かいところまで似せられたもんだ。」「すかしが一寸、はっきりしていないだろう。」貯金掛の字のうまい局員が云った。「さあ。」「それは紙の出どころが違うんだ。札の紙は、王子製紙でこしらえるんだが、これはどうも、その出が違・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・ホントにこの人は今までに随分こんなこともございましたッけ。」と云った。客と主人との間の話で、今日学校で主人が校長から命ぜられた、それは一週間ばかり後に天子様が学校へご臨幸下さる、その折に主人が御前で製作をしてご覧に入れるよう、そしてその・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・ それから笑いながら、「こんな非道い目に会うということが分ったら、お母さんはあいつらにお茶一杯のませてやるなんて間違いだということが分かるでしょう!」――それは笑いながらいったのですが、然しこんなに私の胸にピンと来たことがありませんでし・・・ 小林多喜二 「疵」
・・・朝顔を秋草というは、いつの頃から誰の言い出したことかは知らないが、梅雨あけから秋風までも味わせて呉れるこんな花もめずらしいと思う。わたしがこれを書いているのは九月の十二日だ。新涼の秋気はすでに二階の部屋にも満ちて来た。この一夏の間、わたしは・・・ 島崎藤村 「秋草」
・・・所詮同情の底にも自己はあるように思われてならない。こんな風で同情道徳の色彩も変ってしまった。 さらに一つは、義務とか理想とかのために、人間が機械となる場合がある。ただ何とはなしに、しなくてはならないように思ってする、ただ一念そのことが成・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・なぜ息張っているのだろう。こんな身の上になったのは誰のせいか知らん。誰でも己に為事をしろとさえいえば、己は朝から晩まで休まずに為事をしようと思っているのじゃあないか。この人達も己と同じような人間だ。つい口を開けて物を言えば、己の身の上が分か・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・双親は、どうしてこんな家がひょっこり建ったのだろうとふしぎでたまりませんでした。ウイリイは、「これはきっといつかのおじいさんが私にくれた贈物にちがいない。」こう言って、ポケットから例の鍵を出して、戸口の鍵穴へはめて見ますと、ちょうどぴっ・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
・・・婚礼の晩がこんな風では、行末どうなるだろうと思ったの。よくまあ、お婿さんになって、その晩に球なんぞが突けたことね。お嫁さんもお嫁さんで、よくまあ、滑稽雑誌なんぞが見ていられたことね。お嫁さんの方がひどいかも知れないわ。今お前さんのそうしてつ・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:森鴎外 「一人舞台」
・・・おばあさんはまくらの上で、ちょっと身動きしたばかりでそれを緑にしました。実際は灰色でも野は緑に空は蒼く、世の中はもう夏のとおりでした。おばあさんはこんなふうで、魔術でも使える気でいるとたいくつをしませんでした。そればかりではありません。この・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
・・・ また、こんなのも、ある。 芸術家ハ、イツモ、弱者ノ友デアッタ筈ナノニ。 ちっとも秋に関係ない、そんな言葉まで、書かれてあるが、或いはこれも、「季節の思想」といったようなわけのものかも知れない。 その他、 農家。絵本。秋・・・ 太宰治 「ア、秋」
出典:青空文庫