・・・里川に合歓花あり、田に白鷺あり。麦やや青く、桑の芽の萌黄に萌えつつも、北国の事なれば、薄靄ある空に桃の影の紅染み、晴れたる水に李の色蒼く澄みて、午の時、月の影も添う、御堂のあたり凡ならず、畑打つものの、近く二人、遠く一人、小山の裾に数うるば・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・――これでも分ったが、警察では、お前の母や山崎のお母さんなどには、お前さん達の息子のしたことはドロ棒したとか、強姦したとかいう罪とちがって何も恥かしがることはないと云っていながら、労働者のおかみさん達には、それは世の中で一番恐ろしい罪で、み・・・ 小林多喜二 「母たち」
・・・私には、強姦という極端な言葉さえ思い浮んだ。 けれども、まだまだこれでおしまいでは無かったのである。さらに有終の美一点が附加せられた。まことに痛快とも、小気味よしとも言わんかた無い男であった。玄関まで彼を送って行き、いよいよわかれる時に・・・ 太宰治 「親友交歓」
・・・殺人、放火、強姦、身をふるわせてそれらへあこがれても、何ひとつできなかった。立ちあがって、尻餅ついた。サラリイマンは、また現われて、諦念と怠惰のよさを説く。姉は、母の心配を思え、と愚劣きわまる手紙を寄こす。そろそろと私の狂乱がはじまる。なん・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・石榴の花と百日紅とは燃えるような強い色彩を午後の炎天に輝し、眠むそうな薄色の合歓の花はぼやけた紅の刷毛をば植込みの蔭なる夕方の微風にゆすぶっている。単調な蝉の歌。とぎれとぎれの風鈴の音――自分はまだ何処へも行こうという心持にはならずにいる。・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・春雨や人住みて煙壁を洩る 狐狸にはあらで幾何か怪異の聯想を起すべき動物を詠みたるもの、獺の住む水も田に引く早苗かな獺を打し翁も誘ふ田植かな河童の恋する宿や夏の月蝮の鼾も合歓の葉陰かな麦秋や鼬啼くなる長がも・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・ 私が仮令えば、愛する良人を持って、その愛に対する本能的な純粋さを持ち、希望し、勿論そのために総ての誘惑は可抗的なものであっても、若し泥棒や何かに強姦されでもした場合、単に生理的にでも、同じような亢奮を感じるものと仮定すると、如何に其を・・・ 宮本百合子 「無題(三)」
・・・また、藪の中の黄楊の木の胯に頬白の巣があって、幾つそこに縞の入った卵があるとか、合歓の花の咲く川端の窪んだ穴に、何寸ほどの鯰と鰻がいるとか、どこの桑の実には蟻がたかってどこの実よりも甘味いとか、どこの藪の幾本目の竹の節と、またそこから幾本目・・・ 横光利一 「洋灯」
出典:青空文庫