・・・ 子供の時の茣蓙遊びの記憶――ことにその触感が蘇えった。 やはり楓の樹の下である。松葉が散って蟻が匍っている。地面にはでこぼこがある。そんな上へ茣蓙を敷いた。「子供というものは確かにあの土地のでこぼこを冷たい茣蓙の下に感じる蹠の・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・路傍に茣蓙を敷いてブリキの独楽を売っている老人が、さすがに怒りを浮かべながら、その下駄を茣蓙の端のも一つの上へ重ねるところを彼は見たのである。「見たか」そんな気持で堯は行き過ぎる人びとを振り返った。が、誰もそれを見た人はなさそうだった。・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・木戸が出来たと聞いて洋服のまま下駄を突掛け勝手元の庭へ廻わり、暫時は木戸を見てただ微笑していたが、お徳が傍から「旦那様大変な木戸で、御座いましょう」と言ったので「これは植木屋さんが作らえたのか」「そうで御座います」「随分妙な・・・ 国木田独歩 「竹の木戸」
・・・と主人の少女はみしみしと音のする、急な階段を先に立て陞って、「何卒ぞ此処へでも御座わんなさいな。」 と其処らの物を片付けにかかる。「すこし頼まれた仕事を急いでいますからね、……源ちゃん、お床を少し寄せますよ。」「いいのよ、其・・・ 国木田独歩 「二少女」
・・・そこへ茣蓙なんぞ敷きまして、その上に敷物を置き、胡坐なんぞ掻かないで正しく坐っているのが式です。故人成田屋が今の幸四郎、当時の染五郎を連れて釣に出た時、芸道舞台上では指図を仰いでも、勝手にしなせいと突放して教えてくれなかったくせに、舟では染・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・縁に花蓙が敷いてある、提煙草盆が出ている。ゆったりと坐って烟草を二三服ふかしているうちに、黒塗の膳は主人の前に据えられた。水色の天具帖で張られた籠洋燈は坐敷の中に置かれている。ほどよい位置に吊された岐阜提灯は涼しげな光りを放っている。 ・・・ 幸田露伴 「太郎坊」
・・・「原さんで御座ましたか。すっかり私は御見それ申して了いましたよ」 と国訛りのある語調で言って、そこへ挨拶に出たのは相川の母親である。「どうも私の為に会社を御休み下すっては御気の毒ですなあ」 と原は相川の妻の方へ向いて言った。・・・ 島崎藤村 「並木」
・・・主人が持参した蓙のうえに着物を脱ぎ捨て、ふたり湯の中にからだを滑り込ませる。かず枝のからだは、丸くふとっていた。今夜死ぬる物とは、どうしても、思えなかった。 主人がいなくなってから、嘉七は、「あの辺かな?」と、濃い朝霧がゆっくり流れ・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・来月号を飾らせていただきたく、お礼如此御座候。諷刺文芸編輯部、五郎、合掌。」 月日。「お手紙さしあげます。べつに申しあげることもないのでペンもしぶりますが読んでいただければ、うれしいと思います。自分勝手なことで大へんはずかしく思・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・ とかすれたる声もて呻き念じ、辛じて堪え忍ぶ有様に御座候。然れども、之を以て直ちに老生の武術に於ける才能の貧困を云々するは早計にて、嘗つて誰か、ただ一日の修行にて武術の蘊奥を極め得たる。思う念力、岩をもとおすためしも有之、あたかも、太原の一・・・ 太宰治 「花吹雪」
出典:青空文庫