・・・昨夜ぬいでおいたたびが今朝はごそごそにこわばっている。手で石の角をつかむたんびに冷たさが毛糸の手袋をとおしてしみてくる。鼻のあたまがつめたくなって息がきれる。はっはっ言うたびに口から白い霧が出る。途中でふり向いて見ると谷底まで黒いものがつづ・・・ 芥川竜之介 「槍が岳に登った記」
・・・然し病室はからっぽで、例の婆さんが、貰ったものやら、座蒲団やら、茶器やらを部屋の隅でごそごそと始末していた。急いで家に帰ってみると、お前たちはもう母上のまわりに集まって嬉しそうに騷いでいた。私はそれを見ると涙がこぼれた。 知らない間に私・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・と薄暗い顔を上げてニヤリと笑いながら、鳥打帽を取ってお時儀をして、また被り直すと、そのままごそごそと樹を潜って廂に隠れる。 帳場は遠し、あとは雪がやや繁くなった。 同時に、さらさらさらさらと水の音が響いて聞こえる。「――また誰か洗面・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・「原稿を書いてる傍で、ごそごそ本をひっくりかえされるのは、仕事の邪魔だと思ったので、それもよしたよ」「君のことだから、合服のポケットなんかに旧円がはいってやしないか。入れ忘れたままナフタリン臭くなってね」「そうだ。そう言われてみ・・・ 織田作之助 「鬼」
・・・支那語で笑い喋りながら、六七人の若者がごそごそとあがってきた。ワーシカは、一種の緊張から、胸がドキドキした。「待て!」 彼れは、小屋のかげから着剣した銃を持って踊りでた。 若者は立止った。そして、「何でがすか? タワリシチ!・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・何でも山葵おろしで大根かなにかをごそごそ擦っているに違ない。自分は確にそうだと思った。それにしても今頃何の必要があって、隣りの室で大根おろしを拵えているのだか想像がつかない。 いい忘れたがここは病院である。賄は遥か半町も離れた二階下の台・・・ 夏目漱石 「変な音」
・・・ ところがその返事はただごそごそごそっとつぶやくように聞えました。どうも手がつけられないと云ったようにも又そんなやつらにいつまでも返事していられないなと自分ら同志で相談したようにも聞えました。 私どもは顔を見合せました。それから俄か・・・ 宮沢賢治 「谷」
・・・おじいさんはごそごその着物のたもとを裏返しにしてぼろぼろの手帳を出してそれにはさんだみじかい鉛筆を出してキッコの手に持たせました。キッコはまだ涙をぼろぼろこぼしながら見ましたらその鉛筆は灰色でごそごそしておまけに心の色も黒でなくていかに・・・ 宮沢賢治 「みじかい木ぺん」
・・・「長靴がひとり雪の中をごそごそと歩いていた。」とゴルキーが答えた。「うむ、それは性欲から来ているね。」と、いきなりトルストイは解答を与えた。 何ぜか、これは少し興味がある。 恐い夢 私は歯の抜ける夢をしばし・・・ 横光利一 「夢もろもろ」
出典:青空文庫