・・・ などときいたあと、いきなり、「――僕が大阪にごろごろしてた時の話だが……」 と、この話をしたのである。 そして、自分からおかしそうに噴きだしてのけ反らんばかりにからだごと顔ごとの笑いを笑ったが、たった一つ眼だけ笑っていなか・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
・・・ 二三日、狭苦しい種吉の家でごろごろしていたが、やがて、黒門市場の中の路地裏に二階借りして、遠慮気兼ねのない世帯を張った。階下は弁当や寿司につかう折箱の職人で、二階の六畳はもっぱら折箱の置場にしてあったのを、月七円の前払いで借りたの・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・夏の短夜が間もなく明けると、もう荷車が通りはじめる。ごろごろがたがた絶え間がない。九時十時となると、蝉が往来から見える高い梢で鳴きだす、だんだん暑くなる。砂埃が馬の蹄、車の轍に煽られて虚空に舞い上がる。蝿の群が往来を横ぎって家から家、馬から・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・私も激しい疲れの出るのを覚えて、部屋の畳の上にごろごろしながら寝てばかりいるような自分を留守居するもののそばに見つけた。「旦那さん、あちらはいかがでした。」 と、お徳が熱い茶なぞを持って来てくれると、私は太郎が山から背負って来たとい・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・夢であってくれればいいと思われるような、異様な感じを誘う年とった婦人や若い婦人がそこにもここにもごろごろして思い思いの世界をつくっていた。その時になって見て、おげんはあの小石川の養生園から誘い出されたことも、自分をここの玄関先まで案内して来・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・ 赤さびの鉄片や、まっ黒こげの灰土のみのぼうぼうとつづいた、がらんどうの焼けあとでは、四日五日のころまで、まだ火気のある路ばたなぞに、黒こげの死体がごろごろしていました。隅田川の岸なぞには水死者の死体が浮んでいました。街上には電線や電車・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・肉屋がのぞいて見ますと、中には二十ぴきばかりの犬がごろごろしています。まさか、うちの犬はいないだろうな、と、よく見ようとするとたんに、「わうわう。」と、かなしそうなうなり声を上げた犬がいます。肉屋は、おやッとびっくりしました。うちの犬がつか・・・ 鈴木三重吉 「やどなし犬」
・・・こんな男を、いつまでも、ごろごろさせて置いては、もったいない、と冗談でなく、思いはじめた。生れて、はじめて、自愛という言葉の真意を知った。エゴイズムは、雲散霧消している。 やさしさだけが残った。このやさしさは、ただものでない。ばか正直だ・・・ 太宰治 「一日の労苦」
・・・チャリネのひとたちは舞台にいっぱい蒲団を敷きちらし、ごろごろと芋虫のように寝ていた。学校の鐘が鳴りひびいた。授業がはじまるのだ。少年は、うごかなかった。くろんぼは寝ていないのである。さがしてもさがしても見つからぬのである。学校は、しんとなっ・・・ 太宰治 「逆行」
・・・中に一匹腰が抜けて足の立たないのがいて、他の仲間のような活動を断念してたいていいつも小屋の屋根の上でごろごろしている。それがどうかして時おり移動したくなるとひょいと逆立ちをして麻痺した腰とあと足を空中高くさし上げてそうして前足で自由に歩いて・・・ 寺田寅彦 「あひると猿」
出典:青空文庫