・・・はいるなりKという少女はあん蜜を注文したが、私はおもむろに献立表を観察して、ぶぶ漬という字が眼にはいると、いきなり空腹を感じて、ぶぶ漬を注文した。やらし人やなというKの言葉を平然と聞流しながら、生唾をのみこみのみこみ、ぶぶ漬の運ばれて来るの・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・ついては、いつも思うのであるが、今日は同人雑誌の洪水時代で、毎月私の手元へも夥しい小冊子が寄贈される。扨それらの雑誌を見ると、殆んど大部分が東京の出版であり、熟れも此れも皆同じように東京人の感覚を以て物を見たり書いたりしている。彼等のうちに・・・ 織田作之助 「東京文壇に与う」
・・・私が間にはいって嘗めた苦労の十が一だって、あなたには察しができやしません。私はどれほど皆から責められたかしれないのですよ。……お前の気のすむように後の始末はどんなにもつけてやれるから、とても先きの見込みがないんだから別れてしまえと、それは毎・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・――そうした町も今は屋根瓦の間へ挾まれてしまって、そのあたりに幟をたくさん立てて芝居小屋がそれと察しられるばかりである。 西日を除けて、一階も二階も三階も、西の窓すっかり日覆をした旅館がやや近くに見えた。どこからか材木を叩く音が――もと・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・懇望しているのは大抵お察しでしょう。ようございますか。お貰い申しましたよ。 * * * われはこの後のことを知らず。辰弥はこのごろ妻を迎えしとか。その妻は誰なるらん。とある書窓の奥にはまた、あわれ今後の半・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・けれども僕は桂の生活の模様から察して、三百里外の故郷へ往復することのとうてい、いうべくして行なうべからざるを思い、べつに気にも留めず、帰れたら一度帰って父母を見舞いたまえくらいの軽い挨拶をしておいた。「ここだ!」といって桂は先に立って、・・・ 国木田独歩 「非凡なる凡人」
・・・でも、老人の眼つきと身振りとで、老人が、彼等の様子をさぐりにやってきたと疑っていることや、町に、今、日本兵がどれ位い駐屯しているか二人の口から訊こうとしていることが察しられた。こうしているうちにでも日本兵が山の上から押しかけて来るかもしれな・・・ 黒島伝治 「雪のシベリア」
・・・虚空に抵抗物は少いのだが斯くなるこの自然の約束を万物の上から観破して僕は螺旋が運動の妙則だと察したよ。サア話しが段々煮えて来た、ここへ香料を落して一ト花さかせる所だ。マア聞玉え、ナニ聞ていると、ソウカよしよし。ここで万物死生の大論を担ぎ出さ・・・ 幸田露伴 「ねじくり博士」
・・・ほんとうによくわたくしを解し、わたくしを知っていた人ならば、またこの真情を察してくれるにちがいない。堺利彦は、「非常のこととは感じないで、なんだか自然の成り行きのように思われる」といってきた。小泉三申は、「幸徳もあれでよいのだと話している」・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・私は太郎の作っている桑畑や麦畑を見ることもかなわなかったほど、いそがしい日を郷里のほうで送り続けて来た。察しのすくない郷里の人たちは思うように私を休ませてくれなかった。この帰りには、いったん下諏訪で下車して次の汽車の来るのを待ち、また夜行の・・・ 島崎藤村 「嵐」
出典:青空文庫