・・・おぎんの心は両親のように、熱風に吹かれた沙漠ではない。素朴な野薔薇の花を交えた、実りの豊かな麦畠である。おぎんは両親を失った後、じょあん孫七の養女になった。孫七の妻、じょあんなおすみも、やはり心の優しい人である。おぎんはこの夫婦と一しょに、・・・ 芥川竜之介 「おぎん」
・・・なにか沙漠の空に見える蜃気楼の無気味さを漂わせたまま。……一五 それからかれこれ一週間の後、僕はふと医者のチャックに珍しい話を聞きました。というのはあのトックの家に幽霊の出るという話なのです。そのころにはもう雌の河童はどこか・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・唯昔の苦行者のように無何有の砂漠を家としている。その点は成程気の毒かも知れない。しかし美しい蜃気楼は砂漠の天にのみ生ずるものである。百般の人事に幻滅した彼等も大抵芸術には幻滅していない。いや、芸術と云いさえすれば、常人の知らない金色の夢は忽・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・ 保吉は幻燈の中に映る蒙古の大沙漠を思い出した。二すじの線はその大沙漠にもやはり細ぼそとつづいている。………「よう、つうや、何だって云えば?」「まあ、考えて御覧なさい。何か二つ揃っているものですから。――何でしょう、二つ揃っているも・・・ 芥川竜之介 「少年」
・・・が、ソロモンの使者の駱駝はエルサレムを囲んだ丘陵や沙漠を一度もシバの国へ向ったことはなかった。 ソロモンはきょうも宮殿の奥にたった一人坐っていた。ソロモンの心は寂しかった。モアブ人、アンモニ人、エドミ人、シドン人、ヘテ人等の妃たちも彼の・・・ 芥川竜之介 「三つのなぜ」
・・・ただ南谿が記したる姉妹のこの木像のみ、外ヶ浜の沙漠の中にも緑水のあたり、花菖蒲、色のしたたるを覚ゆる事、巴、山吹のそれにも優れり。幼き頃より今もまた然り。 元禄の頃の陸奥千鳥には――木川村入口に鐙摺の岩あり、一騎立の細道なり、少し行きて・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・ 海月に黒い影が添って、水を捌く輪が大きくなる。 そして動くに連れて、潮はしだいに増すようである。水の面が、水の面が、脈を打って、ずんずん拡がる。嵩増す潮は、さし口を挟んで、川べりの蘆の根を揺すぶる、……ゆらゆら揺すぶる。一揺り揺れ・・・ 泉鏡花 「海の使者」
・・・揃って、すっ、はらりと、すっ、袖をば、裳をば、碧に靡かし、紫に颯と捌く、薄紅を飜す。 笛が聞える、鼓が鳴る。ひゅうら、ひゅうら、ツテン、テン、おひゃら、ひゅうい、チテン、テン、ひゃあらひゃあら、トテン、テン。」 廓のしらべか、松風か・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・さし俯向いた頸のほんのり白い後姿で、捌く褄も揺ぐと見えない、もの静かな品の好さで、夜はただ黒し、花明り、土の筏に流るるように、満開の桜の咲蔽うその長坂を下りる姿が目に映った。 ――指を包め、袖を引け、お米坊。頸の白さ、肩のしなやかさ、余・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
曠野と湿潤なき地とは楽しみ、沙漠は歓びて番紅のごとくに咲かん、盛に咲きて歓ばん、喜びかつ歌わん、レバノンの栄えはこれに与えられん、カルメルとシャロンの美しきとはこれに授けられん、彼らはエホバの栄を見ん、我・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
出典:青空文庫